どんなに頭がよく、勤勉な人であっても、過去を振り返ると「これまでなんと多くの時間を無駄にしてしまったことか」と嘆かずにはいられないだろう。
思い通りにものごとを進められる人などまずいない。その理由の一つは、必要な経験を身につけるには膨大な時間がかかるからだ。できることならば、今までの経験をもとに、もう一度人生をやりなおしてみたいと思うくらいである。
過去の偉人たちは、われわれに「知識」という宝物を残してくれた。しかし、その中でも最も貴重な知識を手に入れるには、金塊同様、自らの手で掘り出す必要がある。
われわれの頭脳は大理石の石柱のようなものだ。そこから美しい彫像を掘り出すには、“のみ”を入れなければならない。あなたにはすばらしい能力があるだろうが、それでも、努力なしに人より抜きん出ることはできないのだ。
人は、その人が身につけている数々の習慣でつくられている。時間の使い方や仕事の仕方、考え方、感情に特定のパターンが生じると、やがてそれはその人の一部になっていくのだ。だからこそ、できるだけ若いうちによい習慣を身につけてほしい。刻一刻、一日一日がより快適に、より意義深くなるような「正しい」習慣を身につけよう。
もし職人が、これから選ぶ斧を一生使うのだと言われると、手頃で丈夫な斧を慎重に選びだすだろう。もし一生同じ服を着なければならないと言われれば、材質や型をあれこれ見比べ、丁寧に選択するはずだ。だがこうしたいかにも重要そうな選択でさえ、精神活動の習慣を選ぶのに比べれば、たいしたことではない。
好ましい習慣は意外と簡単に身につけられる。同じことを、毎日同じ時間に繰り返せばいいだけだ。どんなに面倒でも、ただひたすら毎日、例外なく規則的に繰り返していれば、やがて楽しくなってくる。すべて習慣とは、このようにして形成されていくものである。
勤勉な人ほど、かえって時間に余裕を持っている。それぞれの時間にやることをきっちり決め、確実に実行に移すので、仕事が片づくと暇な時間ができるのだ。怠惰な人間の生活に活気がないのとは対照的である。
ルターが旅をしながら聖書の完訳を成し遂げたのは、当時のヨーロッパの人々にとって驚異的なことだった。それはルターが断固たる決意のもと、毎日自らの計画を実行した成果にほかならない。ルター自身、「1節も訳さない日は、一日もない」と言っている。こうした勤勉さがあったからこそ、たった数年で聖書を完訳できたのだ。
何事にせよ頭角をあらわす人物は、入念に計画を立てる。そして一度決意すると、断固たる忍耐心を持って目標達成へと突き進む。ひよわな精神力の持ち主ならくじけてしまうような難問にも、まったく動揺しない。
時間の使い方について、決して優柔不断になってしまってはならない。自分の進む道は慎重に、しかもきっぱりと選ぶこと。そしていったん選んだら、何が何でもそれに食らいついて離れないことだ。前もって立てた計画通りに過ごした一日は、無計画に過ごした1週間にも相当する。
あらゆる物事から学び取る習慣を身につけているか否かによって、40歳になるはるか以前から、人格に顕著な違いが出てくる。年老いてからでは遅い。若いうちから、常に目を開き、耳を傾けていることだ。
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