親譲りの無鉄砲で小供の頃から損ばかりしている。父親にはちっともかわいがられず、母は兄ばかり贔屓していた。
母亡き後は、おやじと兄と暮らした。兄とは喧嘩が絶えず、兄の眉間を割ったときにはおやじからは勘当されかけた。おやじの怒りが解けたのは、十年来召し使っている清という下女が泣いて許しを乞うたからだ。この婆さんはおれを坊っちゃんと呼び、やたらと可愛がって、おれの独立後も家に置いてほしいと何遍も云っていた。
母が死んで六年後、おやじも亡くなった。九州で就職することになった兄は家を処分し、東京に残るおれに六百円を渡した。その金で物理学校に入学したのは、無鉄砲から起った失策だ。卒業後に四国の中学校で数学教師になる話を持ちかけられ承諾したのも無鉄砲が祟ったのである。
出立の日、朝からなにかと世話をやいていた清は、別れの間際には目に一杯の涙を浮かべていた。
田舎の中学校に着き校長から辞令を受け取り、教員に一人ずつ挨拶をしていった。おれは何人かに渾名をつけてやった。薄髭で色の黒い校長は狸、年中赤シャツを着ているらしい教頭は赤シャツ、顔色の悪い英語教師の古賀はうらなり、毬栗坊主の数学主任の堀田は山嵐、芸人風の画学の吉川はのだいこだ。
明後日から授業を始めるために、山嵐と宿で打ち合わせをすることになった。山嵐は面倒見がよく、下宿先を紹介してくれ、氷水も奢ってくれた。
初めての授業は何とか乗り切ったが、そのうち学校に嫌気がさした。蕎麦屋で天ぷらを食べたら、翌日生徒たちに天ぷら先生とからかわれた。住田の温泉で団子を食べたら翌日黒板に「団子二皿七銭」とかかれるし、毎日赤手拭を携えて温泉に行っていたら「赤手拭い」とかかれ、上等の湯でこっそり泳いでいたら「湯の中で泳ぐべからず」とかかれた。生徒全体がおれ一人を探偵しているように感じる。
はじめて学校の宿直当番が回ってきた。宿直部屋があまりに暑い。抜け出して温泉に行くことにしたら、途中で狸にも山嵐にも見つかり、宿直中の外出をとがめられた。
退屈をもてあまし、眠くもないうちから床につこうとすると、布団の中から五六十のバッタが出てきた。寄宿生たちを問い詰めても、名乗りでるものはいない。自分のしたことを云えないとは、けちな奴らだ。離れてみてはじめて、清の人間としての尊さ、親切さがわかる。
夜になると、生徒たちは激しく床板を踏み鳴らした。生徒たちを引っ捕えてやろうとしたが、寝室の戸が開かない。こうなったら明日勝とうと、一晩そこで待つことにした。
翌朝、戸を開けて出てきた生徒の足を引っ掴み、宿直部屋で詰問した。それでも生徒たちはけっして白状しなかった。そのうち校長がやってきて、追って処分すると云って寄宿生を放免した。手温いことだ。
赤シャツに釣りに誘われ、野だいこと三人で沖釣りへ行くことになった。船が出ると、赤シャツと野だはしきりに景色を褒めた。あの岩の上にラフハエルのマドンナを置いてはどうかと野だが云うと、赤シャツはマドンナの話はよそうじゃないかと気味の悪い笑い方をした。
赤シャツと野だは一生懸命釣りに興じていたが、おれは一匹で懲りた。顔を塩水まみれにして食えもしない魚を釣るより、空を見ているほうがよっぽど洒落ている。
赤シャツと野だは二人で話しながらくすくすと笑っている。「バッタ」「天麩羅」「団子」といった言葉が途切れ途切れに聞こえる。おれのことを内所話しているらしかった。「例の堀田が扇動して」という文句が気にかかる。
帰り際、赤シャツは意味深な忠告をしてきた。君の前任者は乗ぜられたのだと云うので、正直にしていれば怖くはないと答えたが、赤シャツはホホホと笑うだけだった。正直な人を坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑するなら、学校で人を乗せる方法や人を信じない方法を教えたほうがいい。こんな時に決して笑わない清のほうが、赤シャツよりよっぽど上等だ。
赤シャツははっきり云わなかったが、山嵐がよくない奴だから用心しろということらしい。氷水の一銭五厘を返して貸し借りをなくしたら、山嵐と喧嘩をしてやろう。
翌朝、山嵐に氷水の代金を返そうとすると、山嵐はいぶかしみ、金を受け取るから下宿を出ろと云ってきた。おれが乱暴で下宿の亭主が困っているそうだ。亭主の言い分は云い懸りだ、そんな所へ周旋する君も不埒だと返すと、山嵐も負けずに大声を出した。そのうち喇叭が鳴り、喧嘩を中断して教場へ出た。
午後、先夜無礼を働いた寄宿生の処分会議があった。赤シャツは学校の責任と少年たちの未熟さを訴え、寛大な取計を願い出た。野だもそれに賛成する。おれは厳罰が必要だと発言したが、穏便説を支持する意見が続く。そこへ山嵐が生徒の全面的な非を主張し、厳罰と公の謝罪が至当の処置を求めた。
おれは喧嘩のことなど忘れて、大いに有難いという顔で山嵐を見た。すると山嵐はおれの宿直中の外出を指摘し、校長に注意を促した。おれが即座に謝罪すると、一同が笑い出した。
それから校長が教師はあまり蕎麦屋だの団子屋だのに入らないようにしたいと述べると、一同がまた笑った。赤シャツが教師は高尚な精神的娯楽を楽しむべきと口を挟んだので、「マドンナに逢うのも精神的娯楽ですか」と聞いてやると、今度は誰も笑わず、赤シャツは下を向いた。なぜだかうらなり君が、蒼い顔をますます蒼くさせていた。
おれは即下宿を引き払い、新たな下宿を探すことにした。新しい宿のお婆さんに東京からの手紙はないかとたびたび尋ねたので、奥さんはおれにお嫁があると思っているらしかった。そして、マドンナに気をつけろと言い出した。
ここらで一番の別嬪、マドンナこと遠山のお嬢さんは、古賀先生の所へ嫁ぐ約束だったが、古賀の父親が亡くなってしまった。お輿入れが伸びている遠山家に赤シャツがやってきて、マドンナを嫁に欲しいと云い、お嬢さんを手馴付けてしまった。友人として山嵐が赤シャツに抗議に行ったが、赤シャツは遠山家と交際しているだけだと申し開くので、なすすべがなかった。
それから二三日して清からの長い手紙が届いた。ひらがなばかりで字もまずく、読むのは骨が折れた。清はおれからの長い手紙を期待していた。
手紙でいつもより遅くに湯に行く停車場に着くと、うらなり君に会った。入口に背の高い美人と四十四五の奥さんがやってくると、うらなり君は若い女の方へ歩き出した。あれがマドンナじゃないか。
あんなうつくしい人が不人情で、冬瓜の水膨れのようなうらなり君が善良な君子なのだから、油断ができない。山嵐は生徒を煽動したかと思えば、処分を校長に求めるし、厭味たらしい赤シャツが存外親切かと思えば、マドンナを誤魔化したりする。清にこんな事をかいてやったら、驚く事だろう。
湯を終えて野芹川の堤を歩いていると、男女の影が見についた。どことなく不審な様子を感じて、駆け寄って確かめると赤シャツがマドンナを連れて散歩しているところだった。
ある日赤シャツの家に呼ばれ、古賀さんが日向の延岡に転任になるからその分で俸給が融通できると云われた。転任はうらなりくんの希望でもあるそうだ。
家に帰って婆さんの話を聞くと、印象が変わった。父親の死後暮らし向きの良くなかったうらなり君は、給金を上げてほしいと校長に談判した。するとしばらくして、延岡に空いた口があってそこなら給金が上がるので望み通りだろうと云われた。うらなり君は屋敷も母もあるから元も給金のままここにいたいと云ったが決定は覆らなかった。
おれはその日のうちに増給を断りに赤シャツの家を訪れた。すると赤シャツは、君は下宿の婆さんの云うことは信じて教頭の云うことは信じないのか、君の増棒は古賀君の所得を削ったものではないのだから考え直せと云う。人間は論法ではなく、好き嫌いで動くものだ。おれは増給がいやになったから断るのだと云い捨てて、門を出た。
うらなり君の送別会がある日、突然山嵐が謝罪にやってきた。あとから聞いたところ、例の下宿の主人がよく偽筆や贋落款を押し打って商売しており、君が相手にしなかったから追い出したかったのだろう、大変失敬したと云うのだ。おれは何も云わず、山嵐の机の一銭五厘を蝦蟇口へ入れた。
送別会の前に話があると山嵐を下宿に呼び、マドンナ事件や増給事件について話した。今回のことは赤シャツがマドンナを手に入れる策略なんだろう。山嵐はあんな裏で悪事を働いて逃げ道を拵えているような奴は鉄拳制裁でなければ利かないと瘤だらけの腕をまくって見せた。
送別会では、狸も赤シャツらも示し合わせたようにうらなり君を大いにほめ、転任を残念がった。うらなり君はどこまでも人が好いようで、自分を馬鹿にしている校長や教頭にまで心から感謝を述べているようだった。
祝勝会で学校は休みだ。ご馳走を食べようと牛肉を持ってきた山嵐は、赤シャツは人に隠れて温泉の町の角屋という宿屋兼料理屋に行って芸者と会見するそうだと切り出した。山嵐は角屋の前の宿屋で待ち伏せし、赤シャツが芸者をつれて角屋へ入るところに詰め寄るつもりだと云う。
そのうち、生徒が一人、山嵐を祝勝会の余興へ誘いにきた。誰かと見てみると、赤シャツの弟だった。つれだって余興の踴を見物していると、急に騒がしくなる。赤シャツの弟が、喧嘩です、早く来てくださいと云いながら人の波へもぐりこんでいった。生徒たちが師範生たちと喧嘩を始めたようだった。
山嵐とおれで、師範生と中学生が組み合っているのを分けようとするが、なかなか旨くは行かない。教師の癖に出ている、打て打てと、どやされ、石を投げられ、相手を張り飛ばしたり張り飛ばされたりしていると、巡査がやってきた。生徒らはあっという間に退散し、捕まったのはおれと山嵐だけであった。警察に行くことになり、署長の前で事情を話し、下宿に帰った。
四国新聞では例の喧嘩は、教師たちが生徒を使嗾し、現場を指揮して師範生に暴行を加えたと報じられていた。学校に行くと、赤シャツは自分の弟が堀田君を誘いに行ったからこんなことにと半分謝罪しながら、新聞には正誤を申し込む手続きをしたから心配するなと云った。山嵐は赤シャツは臭いぜと注意した。喧嘩をさせておいて、新聞屋に手を廻してあんな記事をかかせたのだろう。
それから三日ばかりして、山嵐はいよいよ計画を実行するつもりだと云った。山嵐は新聞の件で辞表を出すよう校長から云われていた。これでおれには辞表を出せと云わないのは不公平ではないか。おれは校長に直談判したが、山嵐の助言もあって、おれの辞表のことはいざとなるまでそのままにすることにした。
山嵐はとうとう辞表を出し、温泉の町の宿屋の二階に潜んで赤シャツを待った。そして八日目に、とうとう芸者が角屋にはいるのをとらえた。野だと赤シャツも時間をずらし角屋にはいっていった。
朝の五時まで我慢して、角屋から出る野だと赤シャツのあとを尾けた。町を外れたところで追いつき、山嵐は教頭の芸者遊びをとがめた。野だと泊まっただけだと申し開く赤シャツに、山嵐は拳骨を食わした。おれも同時に野だを散々擲き据えた。ぽかんぽかんと両人でなぐり、「もうたくさんだ」と云わせたところで、貴様らは奸物だからこうやって天誅を加えるんだ、警察へ訴えたければ訴えろと云って二人ですたすた歩き出した。
おれはすぐに下宿の荷造りをはじめ、校長宛に辞表を郵送した。結局警察は来なかったところを見ると、赤シャツと野だは訴えなかったらしい。山嵐も俺も夜六時の汽船に乗って、この不浄な地を離れた。
東京へ着いて下宿へも行かないまま、清や帰ったよと飛び込んだら、清は涙をぽたぽた流した。おれも嬉しくなって、東京で清とうちを持つんだと云った。
その後、街鉄の技手になった。清は至極満足の様子だったが、今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日、清が死んだら坊っちゃんのお寺へ埋めてください、坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
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