困難な時代の中、生きづらさを抱える人が増えている。普段は元気な人でも、理不尽な仕打ちを受ければ苦しみにとらわれる。もっと根深い問題を抱え、生きることの虚しさや無意味さにさいなまれている人もいるはずだ。
答えが出せない問題に向き合っていたとしても、決断をせずにすませることができないのが人生というものだ。苦しさをどう受け止めるかを考え、生き抜こうとするとき、人は正解のない問題に自分なりの答えを出そうとしている。これこそが、哲学という営みだ。そこで求められるのは、学問としての哲学ではなく、もっと切実に、ぎりぎり生存を支えるための、生きるための哲学だ。誰であれ、生きるために哲学を必要とする。哲学とは無縁に生きている人も、生きるための哲学をもっている。
たとえば、どうせ死ぬのに生きる意味は何かという問いには、合理的な正解や科学的な答えはない。ウィトゲンシュタインは「語ることが不可能なことに、人は沈黙しなければならない」という言葉を遺したが、哲学という学問は今や人生の問題に沈黙せざるを得ないのである。死にたいという人間を合理的な理由で説得することはできない。だからと言って、何を言っても仕方ないと沈黙するわけにもいかない。答えの出ない問題に自分なりの答えを信じてぶつかっていく、その切なる信念と行動にこそ、本来の哲学がある。
本書においては、生きづらさを抱え、苦難や理不尽に直面しながらも生き抜こうとした人たちの試行錯誤と、それがたどり着いた叡智を描き出したい。これから提示するのは、誰かの実人生に生じた苦悩から見出された、少なくとも一人の人間を救った哲学だ。これらとの出会いが、生きづらさを超えて自分らしく生き抜くための勇気と指針を見つける手がかりになることを祈っている。
『車輪の下』や『ガラス玉演戯』などで知られる作家のヘルマン・ヘッセの青年時代は危ういバランスで成り立っていた。何度も自殺の誘惑に駆られては親を慌てさせ、中年期にも何度か強い自殺願望にとらわれた。死への誘惑を克服したのは、50歳を迎えて以降だった。彼はなぜ生きづらさと苦悩を抱え、いかにして生き延びることができたのか。彼の生きるための哲学を見ていこう。
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