「老い」を理解するためには、まず「死」を理解しなくてはならない。ヒトは偶然生まれ、楽しく過ごし、いつかは必ず死ぬ。ヒトに限らず、多くの生物は同じようなサイクルで世代交代を繰り返す。しかし、決定的にヒトが他の生物と異なるのは、自分がなぜ存在するのか、なぜ死ぬのかと問う点にある。
生物は進化の結果生まれてきたものであり、死がなければ進化もありえなかった。進化のプログラムとは「変化と選択」の繰り返しだ。「変化」とはさまざまな分子が生まれてくる多様性の獲得を意味する。そして「選択」とは、たまたまそこにある環境内で複製しやすい、増えやすいものが残ることだ。基本的にはこのプログラムによって、より環境に合わせて増殖しやすいシステムを洗練させていったのが生命だ。
「分解=死」がなければ新しいものを作ることができないため、変化も選択も起きないことになる。逆にいえば、死ぬものだけが進化できたといえる。その意味で、死には絶対的な必然性があるということになり、これが全ての生き物に必ず死が訪れる理由でもある。
老化して死ぬことはどうしようもないとしても、なんとか「いい死に方」はできないものだろうか。生きているものが死ぬことは、これ以上ない劇的な変化であり、それをあらかじめ受け入れることは大変難しい。幸福に老年期を過ごす方法について、生物学的な視点から考えてみたい。
では、ヒトの死の原因である老化にも、なんらかの意味はあるのだろうか。 実は「ヒト」と「ヒト以外」の生物では、老化そのものがかなり異なっている。
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