「センス」とは何か。著者の定義は「数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力」である。
ファッションを例に挙げてみよう。おしゃれさやかっこよさは数値化できないが、シーンや自分の個性に合わせて服装のよし悪しを判断し、最適化することはできる。その能力をセンスと言うのだ。
センスを「特別な人にだけ生まれつき備わっているもの」や「天から降ってくるひらめきのようなもの」だと誤解している人は多い。こうした誤解を招く理由の一つは、センスが数字で測れないものだからだろう。
また、いざ商品開発となると、「普通じゃないアイデア」を追い求めてしまう人も多くいる。だが、センスのいい商品をつくるには、「普通」という感覚が不可欠だ。むしろ「普通」こそ、「センスのいい/悪い」を測る唯一の道具だと言っていい。
普通とは、「いいもの」と「悪いもの」がわかるということであり、「いいもの」と「悪いもの」の両方を知った上で、「一番真ん中」がわかるということである。だから、センスのいい人になりたいなら、まず普通を知らなければならない。普通という「定規」があるからこそ、「普通よりちょっといいもの」や「普通よりすごくいいもの」、「普通よりとんでもなくいいもの」をつくり出せるのだ。
あなたがパン屋さんを開いて、最高の材料と最高の窯、最高の技術でパンをつくったとする。そうしてつくった最高のパンが、凡庸なお盆に載っていたり、あまりに不格好な形だったり、薄いビニール袋に入れただけでお客さまに渡されたりしたら、ちゃんと売れるだろうか? 決して売れないし、おいしいとも思ってもらえないだろう。
これは職場においても同様だ。読みづらい会議資料や企画書を作る人は、仕事がデキるようには見えない。わかりやすい資料を作れる人とそうでない人で、どちらが優秀かは明白である。
どんなにいい仕事をしていても、どんなに便利なものを生み出していたとしても、見え方を適切にコントロールできなければ、その商品はまったく人の心に響かない。見え方をコントロールし、企業や人や商品のブランド力を高められる力が、センスなのだ。
センスを磨くためには、普通を知る必要がある。普通を知る唯一の方法は、知識をつけることだ。
センスは知識の集積である。たとえば、センスがいい文章を書くには、言葉をたくさん知っていたほうが圧倒的に有利だ。語彙が多ければ多いほど、表現の可能性が広がるためである。
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