新渡戸が本書を著そうと考えたきっかけは、2人の人物から投げかけられた問いにある。新渡戸がベルギー人の法学教授に、日本には宗教教育がないという話をしたとき、この教授は、では日本ではどのようにして道徳教育を行うのか、と驚きながら聞いてきた。また、アメリカ人であった自分の妻からも、日本の思想や風習について、なぜそれが行われているのかと説明を求められることがしばしばあったという。
これらを受けて、自分の善悪の感じ方や行いを改めてふりかえったとき、新渡戸はその思想の源は武士道にあるのではないかという考えに行き着いた。
こうして書き始められた本書は、日本人の道徳観念を支えている武士道というものについて、ときに欧米の歴史や文化と対比させながら紹介したものとなった。
武士道とは、「武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道」であり、文章で表現されている法律とは違い、各々の心に刻まれている掟である、と新渡戸は述べる。
そして、「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」という、よく知られた書き出しから、本論は始まっていく。
封建制度の時代において、武士は名誉と特権と、そしてそれらに伴う責任を持った階級であった。彼らはそれぞれが異なる集団に所属しており、常に刃を交える可能性があったので、フェア・プレイを促すような、何か共通するルールが必要であった。
そして、そこで打ち立てられたルールは、単純に戦闘を律するだけではない、精神的な部分を多く含むものだった。それには宗教が大きく関与していた。つまり、ヨーロッパにおいて、キリスト教が騎士道に「霊的素材を注入した」ように、日本においては、仏教、神道、儒教が武士道の精神的な部分を形成したのである。
まず仏教は、武士道に、運命に逆らわないという平静な態度や、生へ執着しないという心がまえを与えた。次に神道は、主君や祖先、親を敬い、服従することを武士道にもたらした。そして、武士道の道徳的な部分に最も大きく影響したといえるかもしれないものが儒教である。親子の愛情(父子の親)や、年長者への敬い(長幼の序)といった考えは、もともと日本民族が持っていた性質とも合致し、よくなじんだのである。
新渡戸の挙げる、武士の掟のいくつかを紹介していこう。
まずは、武士道の中心的な柱である、「義」である。これは、卑怯なこと、曲がったことを許さない、まっすぐな心で断じて事を行うことを言う。林子平という武士の言葉によれば、それは決断力とされる。「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」。
なお、私たちになじみ深い「義理」という考えは、義から派生したものである。そして、新渡戸は「義理」について次のように言及している。本来の意味は、
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