茶はもともと薬用として用いられ、その後飲料となった。中国では8世紀に、詩歌と並んで高尚な遊びとして楽しまれたが、15世紀の日本ではさらにその価値は高まり、「茶道」となった。茶道は日常の俗事の中にある美を見出し、「不完全なもの」を崇拝する一種の儀式である。そこからは、純粋と調和、互いに愛し合うことの神聖さ、社会秩序の賛美を学びとることができる。
日本人の住居や習慣、衣食、陶漆器、絵画、そして文学に至るまで、みな茶道の影響を受けている。日本の文化を研究しようとするものは、茶道の影響を無視するわけにはいかない。
よその国から見れば、たかだか一杯の茶のことでこれほど騒ぎ立てるのは不思議に思われるかもしれない。しかし、自分が持つ偉大なものの小ささに気づけない者は、他人が持つ小さいものの偉大さにも気づけないものである。普通の西洋人は、かつては日本を野蛮な国だと見なしていた時代もあり、茶の湯を東洋の奇行の一つだとしてあざ笑っているだろう。しかしそろそろ、東西が互いを酷評しあうのをやめて、尊重しあうべきではないか。東洋と西洋はこれまで発展する方向を異にしてきたが、それぞれの長所と短所を補い合うことができるはずである。
幸いなことに、今のところ「茶」においては、東洋と西洋は相互に理解しあうことができているようだ。西洋人は東洋の宗教道徳をあざ笑ったが、紅茶という飲み物についてはあっさりと受け入れた。茶は東洋の精神を色濃く残したまま西洋の文化として根づいている。
また、美を見出すために美を隠し、表現することをはばかりつつほのめかすといったふるまいこそが、茶道の真髄である。これを理解する人が、本当の茶人だといえる。サッカレーやシェイクスピア、文芸が退廃した時代の詩人たちは、物質主義に対する反抗の結果、茶道の精神を受け入れた。茶道における「不完全さ」を真摯に見つめることにこそ、東西の相互理解の道がある。
茶の文化は中国で興り、煎茶、抹茶(ひきちゃ)、そして淹茶(だしちゃ)へと進化を遂げた。煮る団茶、かき回す粉茶、淹す葉茶はそれぞれ、唐、宋、明の時代精神を示している。茶道を理想の域へと押し上げたのは、8世紀の唐に生まれた詩人の陸羽(りくう)である。
つづいて宋の時代では、仏教徒の間で、
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