16世紀は東から、明、ムガール朝、サファヴィー朝、オスマン朝という四大帝国が世界に君臨した時代であった。
中国にはかねてより、世界の人々が欲しがる特産品がたくさんあったが、14世紀半ばに元から明へと王朝が交代すると、海禁という鎖国政策をとったため、経済が停滞した。そこで名宰相の徐階と張居正が大改革を始める。土地の測量を行い大量の隠し田を摘発し、税制をシンプルにし、海禁を解除した。その交易の対価としてメキシコや日本の石見の銀が市場に大量に流入することにつながり、ますます交易が盛んになっていった。
1526年にインド大陸に誕生したムスリムのムガール朝は、1539年フマーユーンの時代にシェール・シャーという人物に攻め込まれ、一度スール朝という王朝に取って代わられた。しかし、インドから逃れサファヴィー朝に身を寄せていたフマーユーンは、55年にサファヴィー朝のバックを得てスール朝を滅ぼし、ムガール朝を復活させた。
ムガール朝復興後はアクバルという名君が王位に就き、この時代からムガール朝は繁栄に向かった。この繁栄はスール朝時代の土地台帳の整備や徴税組織の確立、道路網の充実、貨幣制度の改革などシェール・シャーによる優れた政治が基盤となっていた。なお、世界遺産としても有名なタージ・マハルは、アクバルの孫にあたるシャー・ジャハーンの治世において建設された。
一方、ペルシャ湾岸に繁栄したイラン人の王朝サファヴィー朝は、5代目のアッバース一世の時代に極盛期を迎え、首都イスファハーンは世界の富の半分が集まっていると言われるほどに栄えた。
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