まずは中国の歴史を概観する。群雄割拠の春秋・戦国時代の後、秦の始皇帝が中国を統一したのを機に、主に漢民族が中国大陸を支配してきた。「中国が世界の文化、政治の中心であり、他に優越している」という中華思想を基盤に、周辺の異民族から朝貢を受け、国王の称号や印綬を与える「冊封・朝貢体制」をつくりあげていった。
以降、数々の王朝が興亡し、17世紀の中ごろに起きた明朝滅亡戦争で漢民族国家が滅亡した後、満州人中心の新王朝である清が興った。清の勢力はロシア国境付近から朝鮮、琉球、台湾、ベトナム、タイ、ミャンマー、ネパール、チベット、モンゴルにまで及び、銀の大量流入で繁栄し、全盛期を迎えた。清の皇帝はまずは内陸部を制圧すべく、直轄領や間接統治領を内陸へと広げたのである。
その後、西洋列強による半植民地時代、日清戦争、第一次世界大戦などを経て現在に至る。
ここで今、中国はかつての英米のように、内陸国家から海洋国家へと転換することで、世界の覇者になろうとしている。台湾や尖閣諸島、南沙諸島にこだわるのも、太平洋へと進出する足がかりをつくりたいためだ。
広大な帝国を築いていた清の勢力は、18世紀半ばに陰りを見せ始めた。清は、中国との自由貿易を求めたイギリスに対して頑なに拒否の構えを見せた。
そこで、アジアに一大拠点を築きたいイギリスは、清と継続的に商売をするために清にアヘンを大量に輸入させた。イギリスの狙いは、清の市場を開放し、主要な貿易港に自由にアクセスできるようになることだった。こうして、清のアヘン中毒者を増やし、清に流出していた銀を、インドを介して回収する「三角貿易」に持ち込んだ。内政も経済も大混乱に陥った清では、アヘン厳禁令が出され、一般の通商も禁止された。これを機に清に進攻したイギリスが勝利し、清は5港の開港と香港の割譲を強いられた。これがアヘン戦争である。
香港は、イギリスが東南アジアに進出するための重要な拠点となった。香港をアジアの貿易・金融の中心地にすることで、イギリスはアジアで確固たる地位を築いたのだ。これを皮切りに、
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