2014年11月、およそ3年ぶりとなる日中首脳会談が開かれた。じつはこの直前の日中関係は、国交正常化以来最悪と言われるほど冷え切っていた。中国が「領有権」を主張する沖縄県・尖閣諸島を、日本が国有化したことが最初の火種となった。そこへ拍車をかけたのが2012年末に首相の座に返り咲いた安倍の靖国参拝だった。
この対立は、それまで順調だった経済関係さえ冷え込ませた。尖閣諸島周辺でも日中の緊張が高まり、安全保障面で不測の事態が起こる可能性も懸念され、関係改善の必要性は増していった。
その頃から、安倍は各所での演説において、中国との関係について、「友好関係を築いていく」という言葉を使うようになった。安倍の態度の変化に敏感に反応した中国側に、谷内正太郎国家安全保障局長らは、秘密裡に接触を試みていた。尖閣諸島問題の譲歩はせず、関係改善に向けた話し合いを実現するという任務を負い、彼らは交渉を続けた。
そうして、両政府は双方が受け入れ可能な文書を事前にまとめあげ、ようやく首脳会談が決まった。北京で行われた会談前の写真撮影で、話しかけた安倍から習近平国家主席は不機嫌そうに顔を背けた。両首脳が仏頂面で握手を交わした異様な写真は、内外に波紋を呼んだ。
会談では尖閣諸島問題も靖国参拝も直接ふれられることはなかったが、話し合いの継続が合意された。会談終了間際、習の表情は別人のように穏やかだったという。安倍は、13億人の国民から注視されている習の立場を察した。
日中首脳会談の実現は、じつは、安倍にとっては衆院解散のための布石でもあった。
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