ENIACの発明には多くの人間が関わっているが、広く発明者と認められているのは、アーサイナス大学の物理教師だったジョン・ウィリアム・モークリーと、ペンシルベニア大学の大学院生だったジョン・プレスパー・エッカートJr.である。2人は1941年、ペンシルベニア大学のムーアスクール電気工学科による、戦争に向けて科学者たちを再教育することを目的としたサマープログラムで出会った。
1940年代は電子工学の研究が進んだ時期だが、それは戦争と無関係ではない。1941年9月、モークリーは戦争関連のプロジェクト支援に向けて学部を再組織化するために、ムーアスクールで働き始めることになった。ムーアスクールは近郊にある、あらゆる種類の兵器を科学的に研究する弾道研究所と共同研究をしていた。1943年4月に承認されたENIACの提案書は、そのような環境下で作成された。
弾道研究所はENIACの開発が、射表作成に関する数学的研究に大きく寄与するという期待を抱いていた。大砲の射手が数マイルも先の目標に照準を合わせるためには、補正表を用いて、弾薬の温度、砲身の傾き、角度などの変数に対する補正を行わなければならず、すべての種類の弾道の射表を作成するために、個々の弾道を計算する必要があった。そして、モークリーたちの提案書は、弾道計算の作業速度を飛躍的に上げることができると評価されていた。
ENIACを設計するにあたり、最も困難で重要な解決すべき問題は
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