ソローが森の中に一人で暮らし始めたのは1845年7月4日、アメリカの独立記念日のことであった。そこから二年間あまり、ソローは自然とともに質素だが誠実な生活をおくることになる。
彼は生まれ育ったマサチューセッツ州のコンコード村から数キロに位置する森の中の小さな湖のほとりに居を構えた。この湖が、タイトルともなっているウォールデン湖である。そこに自分で簡素な小屋を建て、育てた作物を食べ、自分の手を使った労働だけで生活を成り立たせた。本書はその生活の記録である。
なぜこのような生活を始めたのか。ソローは、人生そのものに向かい合いたかったから、死ぬときになって自分がじつは生きていなかったということを発見したくはなかったから、と述べている。ソローの問題意識は、こうであった。「なぜわれわれはこうもせわしなく、人生をむだにしながら生きなくてはならないのであろうか?」。
ソローが言うには人々は新しい物事、新しいニュースを知ることばかりにかまけている。しかし、ニュースなどは、ごくわずかな例外を除けばほぼ全てゴシップであり、物事の原則さえ知ってしまえばあとはとるに足らないものである。それにもかかわらず、そのような必要とはいえないものばかりを追い求めつづけ、人生そのものには目を向けていない人々が決して少なくないのである。
人生の真理は宇宙のどこか彼方にあるのではない。目を惑わすものを避け、しっかりと実在するものだけをとらえていけば、崇高な生活はいま、ここにある。どうでもよいことに気をとられたりせずに、事実を真っ向から見つめればそれで良い。そして、知識はそれをなすにあたって邪魔なものともなり得るのである。物事の本質に迫るには偏見と思い込みを捨てなければならない。
ソローは、森の生活にその可能性を見出した。「自然」そのもののようにすごし、実在を見つめようとソローは呼びかける。こうして、森の生活は始まった。
「人間の労苦は誤解から生まれるのだ。」とソローは言う。人々は本当は必要でないものを必要であると信じてそれを求めることにあくせくしてばかりいる。生活必需品である少数のものはじつはわずかな費用で手に入るものばかりであるが、人々はそれで満足せずに様々なぜいたく品を求める。しかし、これらは不必要なだけでなく、むしろ人類の向上の妨げとなっているという。人々は瞬間的に消費されてしまう外面的な富に意識が向いてしまい、積み重なっていく内面的な富の探求をおろそかにしてしまうからである。
たとえば、人々は衣類を求める際に、実用性よりも目新しさや世間体に動かされがちである。そして立派な服装をした人を尊敬する。
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