太宗は、上に立つ人物が天下を安定させるには、とにかく自らを律し、慎重に行動すべきだと考えていた。我欲に溺れてしまっては、肝心の政治に身が入らなくなり、人民のことを考えることができなくなってしまう。やがては、臣下や人民からの尊敬を失ってしまうことになるだろう。
太宗が即位して四、五年経つころには、すでに安定した治世が実現されるようになったが、太宗はそうした時こそ、慎重さが要求されると考えていた。その姿勢は、「国を治める時の心構えは病気を治療するときの心がけとまったく同じである。病人というのは、快方に向かっているときこそ、いっそう用心して介護にあたらなければならない」という言葉に端的に表れている。泰平の世の中だからこそ、常に気をゆるめず注意深く行動する必要があるというわけである。
太宗は、国を治めることを、木を植えることにもたとえている。隋の煬帝(ようだい)は、美女や宝物を集めて奢侈にふけり、それでも尽きない欲に動かされて軍事行動を起こした。結果、人民は反抗し、国は滅んでしまった。上に立つ者が身を慎んでこそ、人民の暮らしは安定する。それは、根や幹がしっかりした木の枝葉が、自然に茂るのと同じことなのである。
治世の初めのころ、太宗は側近のひとり、魏徴(ぎちょう)から、「明君が明君たるゆえんは広く臣下の進言に耳を傾けること」と言われている。そうすることで、一部の側近に惑わされずに、下々の状況を理解できるからだという。
しかし往々にして、危機に瀕している際は優れた人物の意見に耳を傾けようとするものの、いざ国が安定しはじめれば心にゆるみは生じてしまうものである。
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