「仁」は、孔子が最も重要視した徳である。孔子哲学の真髄といっても過言ではないだろう。岩波文庫版『論語』の訳注者・金谷治は、仁を、「人間の自然な愛情にもとづいたまごころの徳である」と定義している。
孔子は、「孝弟なる者は其れ仁の本たるか(孝と悌ということこそ、仁徳の根本であろう)」とし、口がうまく顔だちのよいものには仁の徳はほとんど備わっていないという。また、「仁者(じんしゃ)は難きを先きにして獲(う)るを後にす、仁と謂うべし。(仁の人は難しいことを先きにして利益は後のことにする、それが仁といえることだ)」とも語っている。そして、善き治世には、為政者の仁徳が不可欠であると考えていた。
では、どのように行動すれば、仁を体現できるのであろうか。孔子は、愛弟子・顔淵(がんえん)に語る。「一日己れを克(せ)めて礼に復れば、天下仁に帰す。(一日でも身をつつしんで礼に立ちもどれば、世界中が仁になつくようになる)」ここで孔子は、仁の実践には、克己心と「礼」(後述)に基づく行動が鍵となることを示唆している。さらに、仁は、人を愛することとも同義で、具体的には、恭しく、おおらかで、信(まこと)があり、機敏で、恵み深いという五つの美徳が世界中に広がれば、仁を実現できるという。
その一方で、『論語』には、仁に対する真の理解や、その実践が難しいということを示す記述もある。孟武伯は、孔子の三人の弟子たちのそれぞれが、「仁の人」といえるか否かを尋ねたが、孔子は、彼らの美点を挙げこそすれ、全員を、「其の仁を知らざるなり(仁であるかどうかは分りません)」と評した。また、弟子の原憲が、「勝気や自慢や怨みや欲望がおさえられれば、仁といえましょうね」と質問した際、「(仁は則ち吾れ知らざるなり。(仁となるとわたしには分らないよ)」と答えたのである。また、実のところ、孔子は、「仁」について語ることは、少なかったという。
実際のところ、仁の理解や実践は困難で、弟子たちは仁を誤解することもあった。
『論語』中で語られる「仁」は、仁そのものの性質か、仁の実践法についての説明が大半であるが、仁の実例を述べている箇所も存在する。
斉(せい)の桓公(かんこう)は、春秋時代に活躍した諸侯の指導者であった。桓公は君位を争った兄、公子の糾(きゅう)を殺し、その地位に就いたのだった。兄の家来の召忽(しょうこつ)は殉死したが、管仲(かんちゅう)は死なず、のちに仇である桓公に仕えた。このことを挙げて、孔門十哲のひとりに数えられ、『論語』に多く登場する弟子の子路は、管仲は仁ではないでしょうね、と孔子に尋ねた。
孔子はこれに対し、「桓公、諸侯を九合して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如(し)かんや、其の仁に如かんや。(桓公が諸侯を会合したとき武力を用いなかったのは、管仲のおかげだ。〔殉死をしなかったのは小さいことで〕だれがその仁に及ぼうか。だれがその仁に及ぼうか。)」と答えた。
この対話中の「会合」が何を指すかは、諸説あるようだが、
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