スミスは、生活必需品や便益品を国民がどの程度享受できるかを豊かさの指標としている。生活必需品や便益品は、国民の労働によって生産されたもの、その生産物と引き換えに輸入されたものである。
まず本書においてスミスは、豊かさの原資となっている国民の労働の生産力について考察する。
労働の生産性が著しく向上したのは、社会における仕事全体で分業が進んだからといえるだろう。分業の恩恵を受けている製造業の一つ、「ピン製造」を例にとろう。ピンを作る工程は多数の部門に分割され、針金を引き伸ばす作業からピンを白く磨く作業まで、それぞれが独自の仕事になっている。すべての工程を一人でやろうとしては、一日に二十本のピンを作ることさえできないだろう。一つの完成品を生産するのに必要な労働が分割されることで、手仕事の労働の生産性は高められるのだ。
ただし、作業の性質上、農業においては分業体制を築くのは難しい。よって、農業においては、富国の労働のほうが貧しい国の労働よりも生産的だとは言いきれない。
分業によって生産性が上がるのは次の三つの理由による。一つ目の理由は、各人の仕事を特定の単純な作業にして、ある職人に専念させることで、その職人の腕前を上げられるからだ。二つ目の理由は、仕事の移動にかかる時間を節約できるからだ。仕事場を移動する時間だけでなく、新しい仕事に着手して気乗りするまでの時間は、想像以上に長い。三つ目の理由は、分割された仕事に対応する多種多様な機械が発明され、労働を容易にかつ迅速に行えるようになるからである。
分業で生産力が向上した結果、生産物が社会の最低階層の民衆にまでゆきわたり、社会全体が豊かになっていく。
労働によって生産されたものは、貨幣を媒介して人々に配分されていく。生産物の交換価値を規制する原理を明らかにすべく、スミスが考察するうちの一つ、現実の価格(自然価格)と市場価格がときに一致しない原因について述べた部分を、ここでは紹介しよう。
自然価格というのは、ある商品を生産し、市場に流通させるのに必要とされる、平均的な地代と、賃金と、利潤を合計したものである。自然価格で売られている場合、その商品はまさにその値打ち通りに売られているといえる。
一方、市場価格とは、ある商品が市場で実際に売買される価格のことである。市場価格は、商品の供給量と、その商品の自然価格を支払おうという人々の需要(=有効需要)との関係によって決まる。
ある商品の供給量が有効需要を下まわるときは、「もっとお金を支払ってでもその商品がほしい」という人が現れ、価格は自然価格を超える。反対に、その供給量が有効需要を超える場合は、全体の価格は引き下げられる。価格が上がれば利害関心が動いて人々はもっと商品を用意しようとし、下がれば逆のことが起こるため、ある商品の市場供給量、および労働の総量は自然に有効需要と一致し、価格は自然価格と一致する方向へ向かう。
しかし、ときには偶然や行政上の規制により、商品の市場価格を自然価格よりもかなり高い状態にとどまることがある。
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