よく言われるのだが、どうやら私は、人とはちがったふうに世界を見ているらしい。この本を通じての私の目標は、自分やまわりの人たちを動かしているものが何なのかを根本から見つめなおす手助けをすることだ。
ある18歳の金曜の午後のことだ。一瞬のうちにすべてが取り返しのつかないほど大きく変わってしまった。夜間に戦場を照らすためにかつて使われていたマグネシウム光が炸裂し、私は全身の70%に三度のやけどを負った。それから3年の間、私は全身を包帯に覆われたまま病院で過ごした。事故の後、病院でさまざまな種類の痛みをたっぷりと経験した。社会から半分切り離されたように感じた。そのため、以前は自分にとって当たり前だった日々の行動を、第三者のように外から観察するようになった。
長期の退院ができるようになると、私はすぐにテルアビブ大学で学びはじめた。ハナン・フレンク教授の大脳生理学の授業が、研究というものに対する私の考えをすっかり変え、その後の人生をほとんど決めてしまった。私の仮説はまちがっていることが分かったが、そのことを実験によりしっかりと確認できた。興味のあることを確かめる手段と機会を科学が与えてくれることを知り、私は人間の行動を研究する道にはまっていった。
私は人が痛みをどのように経験するのかという問題に取り組んだ。私はやけど治療において、患者に苦痛の少ない包帯のはがし方を研究し看護師に提案した。何人かの看護師は私の提案通り処置するようになったが、大々的に変わることはなかった。私の提案を実践すると、看護師が痛みに絶叫する患者を前にする時間が長くなってしまうからだろう。
経験豊富な看護師が、患者にとっての現実を取り違えてしまうのだとしたら、ほかの人も同じように自分の行動の結果を取り違えたり、そのせいで、繰り返しの判断を誤ったりするのではないか。私は失敗を繰り返してしまう状況について研究しようと決めた。
というわけで、私たちが皆どんなふうに不合理かを追求しようとしたのがこの本の目的だ。この問題を扱えるようにしてくれる学問は、「行動経済学」、あるいは「判断・意思決定科学」という。
私たちが完璧な理性を持っているという仮定が、経済学にはいりこんでいる。経済学では、まさにこの「合理性」と呼ばれる基本概念が経済論理や予測や提案の基盤になっているのだ。しかし、実を言うと私たちは合理性からは程遠い。もうひとつ、私の考えでは、私たちは不合理なだけでなく、「予想どおりに不合理」だ。つまり、不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される。伝統的な経済学では、私たちはみんな合理的なため、常に最善の行動をとっていると予測する。もし、まちがいを犯しても、「市場原理の力」が降りかかり、私たちを正しい合理的な道に押しもどすのだ。
本書でこれから見ていくように、私たちはふつうの経済理論が想定するより、はるかに合理性を欠いている。そのうえ、私たちの不合理な行動はデタラメでも無分別でもない。規則性があって、何度も繰り返してしまうため、予想もできる。
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