人が歩くのには、実にたくさんの理由がある。「足」がある、「道」がある、行くべき「場所」がある、「ダイエット」になる、「考えごと」は歩いた方がまとまりやすい。どれも正解なのだろう。とはいえ、もし歩くことが苦痛だったとしたら、これだけの歩く理由があっても、「何とかして歩かない方法」を考えるのではないだろうか。
しかし、外には楽しそうに歩いている人がたくさんいる。実は、「楽しいから」まず人は歩くのであって、いろいろな目的はそのあとで出てきているのかもしれない。
歩いてみるとさまざまな光景に出合い、多くの人とすれ違う。ウィンドウショッピングをしたり、遠くにあった山がだんだん近づいてきたりするのも楽しい。こうして「展開する出来事」、情報を楽しんでいると、生きている実感を持てる。
楽しく歩けば、健康になり、ダイエットもできて、心が明るくなる。食欲が増すから食事も楽しくなり、心の風景は豊かになる。「歩くと楽しい」ことを知っていれば、歩くことは自然と長続きする。
現代では「歩いている」人でも1日7000歩程度だし、1日数百歩という極端な人もいる。デスク仕事や会議に時間を費やすと、驚くほど歩かずに済んでしまう。
江戸時代の庶民は、1日3万歩は歩いていたという。明治から大正にかけての会社員も同程度であり、一歩平均を50センチとすると、1日15キロ歩いていたことになる。
現代人は、ただ暮らしているだけでは1万歩さえ歩けない。「歩こう」と意識する必要がある。1日1万歩を歩いていれば、肥満も生活習慣病も防ぐことができ、健康な生活を維持していける。
しかし、「歩かなければならない」という気持ちでは、ストレスが溜まってしまう。どうせなら楽しく歩きたい。そうして体や気持ちをリラックスさせたい。「楽しんで歩けば、歩くことが趣味になる」。その域に達すれば、1日5000歩さらに歩くことも簡単なはずだ。5000歩は、約2~3キロの距離だ。仕事や家事の合間に楽しく片道1.5キロの道を往復するだけでいい。リフレッシュしながら、脳や体のためにもなる。歩くことは趣味と実益を兼ねられるのだ。
歩かないでいれば、やがて足腰が弱まり、気持ちも沈んでしまう。「『歩くこと』と『気持ち』は連動している」のだ。最後のふんばりがきかないのも、物事を簡単に諦めてしまうのも、ちょっとしたトラブルに立ち直れないほど落ち込んでしまうのも、普段歩いていない場合が多い。
意識的に歩くことで、気持ちが強くなることがある。著者の知人に、年齢のせいで気力が衰えたことを嘆く人がいたという。どうやら、会社を定年退職したことで生きがいを失い、新たに打ち込めるものを探したもののどれも長続きしなかったようだ。そこで著者は、1日1万歩を目安に意識して歩くことを勧めてみた。一念発起して意識的に歩き始めた彼は、やがて歩くこと自体に楽しみを覚え、足腰が鍛えられたことで気力も満ちてきた。自嘲的な物言いやグチもなくなった。「歩くことによって自然に気持ちも強くなった」のだろう。
気持ちが弱っているときに自分を責めることは、かえって逆効果だ。そういうときは、さっさっさっと少し早歩きしてみるだけで、くよくよしていたことがばかばかしくなってくる。前向きに問題と向き会う気持ちを持てるようになる。歩くことは強い気持ちを蘇らせるのだ。
歩くことが好きになると、そこからいろいろな趣味に広がっていく。だから、無趣味だという人には、まず歩いていただきたい。
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