がんばりたくないのにがんばってしまう。本当は断りたいのに、笑顔で引き受けてしまう。ときどき人が変わったように怒りを爆発させ、後悔する……。こうしたことは日常のさまざまな場面に存在する。自分でもコントロールできない感情に苦しみ自己嫌悪に陥ってしまうのは、つらいことである。
自己矛盾や葛藤は誰にでもあるが、自分が「分裂」してしまうかのような葛藤は、通常の葛藤とは異なるものだ。たとえば「ラーメン食べたいな、でも太るからやめようかな」と悩む「通常の葛藤」は、揺れる2つの気持ちをそばで眺め、その気持ちを自分で把握できている状態だ。
一方の「自分が分裂する葛藤」は、「シーソーの片側に正体不明の気持ちがドーンと乗っかってきて、大きく揺らいでしまう状態」にたとえられる。「恋人を大事にしたい」と思っているのに、急に怖くなって「別れたい!」と思うのはこのケースだ。突然不可解なものが現れて、パニックを起こしている状態である。
「自分の分裂」が起きる原因には、「トラウマ」と「生存戦略」が関わっている。
自分の心身に多大な影響を与えた出来事を「トラウマ」というが、トラウマ体験は、受け止められないほどの強烈な悲しみや怒り、恐怖などの感情を植えつける。だが、その感情を抱えたままでは日常生活に支障が出るため、自分のなかに「壁」をつくり、意識できない場所に封じ込めておくのである。
壁の向こうでは、本来の「私」に代わって別の「わたし」が生まれる。壁の向こうの「わたし」は「トラウマ担当のパーツ」として、おぞましい感情を一手に引き受けて、本来の「私」を守ってくれるのだ。これは、人間が自分を守るために無意識に生み出した「生存戦略」といえる。
「わたし(パーツ)」は、危機的な状況が過ぎたあとも風化せずに存在し続ける。そして、どこかで「危機」に似た状況に直面すると、「わたし」の感情が「壁」を超えてあふれて、理性で自分をコントロールできない状態に陥ってしまう。
「わたし(パーツ)」とは、本来の「私」の日常を守るためにつくられた「身代わり」のような存在なのである。
トラウマはどんな人でも持っている。トラウマとは「生命を脅かされるような出来事」だといわれることもあるが、それは間違いだ。トラウマにはさまざまなレベルがあり、日常生活で起こる傷つきもトラウマなのである。
生死に関わるトラウマを「ビッグT」と呼ぶのに対し、いじめやパワハラ、離婚などの日常的なトラウマを「スモールt」と呼ぶ。多くのスモールtは養育者(親)との関係に起因し、その関係性で得た対人関係のパターンは、その後の人生に大きな影響を与える。仮に今は親と関係が良好でも、トラウマがないとはいえない。今のあなたと「パーツ」は別の存在で、子どもの頃に受けた感情は現在も「壁」の向こうで眠っているからだ。
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