「かけた時間に対しての効果(満足度)」や「時間的な効率」を指す「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉は、すでに定着している。映画を早送りする行動や、映像を違法に編集して内容をクイックに理解できるようにした「ファスト映画」などにその特徴が表れている。
今までも「コスパ(コストパフォーマンス)」という言葉があった。「支払った費用(コスト)と、それにより得られる効果(パフォーマンス)を主観で比較した際に、安い費用で高い効果が得られれば『コスパがいい(高い)』」とされた。
コスパとタイパの概念は、「効用の最大化のために消費の最適解を検討するという点」で非常に似ている。しかしその目的はかなり違っている。なぜならコスパにおいては「お金がないから安いモノを求める」という行動に合理性があるのに対し、ファスト映画やネタバレに合理性があるとは考えがたいからだ。
昔と同じ24時間で、消費者はYouTubeその他の動画プラットフォームやサブスク、SNS、テレビ、マンガ、ゲーム、雑誌、音楽のすべてを消費しなくてはならない。情報が溢れかえるほど時間的な制約が厳しくなる。
しかし一方で、それを消費しないことも選べる。そもそもYouTubeやTikTokを明確な目的意識を持って視聴している人はどれくらいいるだろうか。こうした視聴は隙間の時間に行われることも多い。その時間を節約したところで有効に使われることはないのに、効率性を追求するのはなぜだろうか。
あえて内容を先に知ることで感動や興奮を得る権利を自ら放棄している。本当に興味があればその作品をちゃんと観るわけで、わざわざ時間をかけてネタバレを探し出し、映画を観た気になるだけの行動のどこに、合理性を見出すことができるだろうか。コンテンツは「鑑賞(芸術)対象から消費(消化)対象になっている」のである。
では、なぜZ世代の若者を中心に「タイパ」が求められるようになってきているのだろう。
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