言語学者であり作家でもある著者であっても、言葉に関する失敗は後を絶たない。以前著者は、猛暑が続いていた夏の日、「明日はだいぶいいよ。マイナス6度だって」と言って知人を驚かせてしまったことがある。著者は今日と比べて6度低いというつもりで言ったのだが、知人は氷点下6度だと思ったそうだ。
こうした誤解は笑って済ませることができるが、世の中にはそうもいかない事例がある。SNSでは、言葉の解釈の違いから、対立が起こる場面が少なくない。
たとえば、ニュース記事の見出しに「勉強しない大学生 その実態を探る」という表現があったら、人々の間で解釈が分かれる。「大学生がみな勉強しないなんて、勝手に決めつけないでほしい」と言う人もいれば、「大学生がみな勉強しないなんて書かれてないし、一部の大学生に限った話でしょ」と反論する人もいる。そこでお互いに相手のような解釈もあるかもしれないと認められればいいのだが、どちらも「自分が正しい」と言って譲らないケースが多いようだ。
「勉強しない大学生」という表現は、言語学的に考えれば、修飾の関係をどう捉えるかによって、2通りの解釈が可能な表現である。「勉強をしない、大学生というもの」と考えれば、大学生全般が勉強しないということになるし、「大学生のうち、勉強をしない人たち」であれば、勉強しないのは大学生の一部ということになる。
言語学の立場から眺めれば、言葉のほとんどは曖昧で、複数の解釈を持ちうる。しかし、多くの人は自分の頭に最初に浮かんだものを「たった一つの正しい解釈」と思い込んでしまいがちだ。言葉のすれ違いを察知し、対処できるようになるためには、言葉を多面的に見る必要がある。
著者が知人に自分の料理を食べてもらったとき、「味はどう?」と尋ねると、「微妙」という答えが返ってきた。著者は「いまいち良くない」という意味だと受け取ってがっかりしたのだが、話を聞いてみると、その人は「良い味だ」という意味で「微妙」と言ったのだそうだ。
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