アサヒビール株式会社は、戦後間もない1949年に設立された。当初は業界二位のシェアを誇るも徐々に業績が低下し、’85年には国内ビール販売量はシェア9.6%にまで落ち込んだ。その後、村井勉・樋口廣太郎という2名の凄腕社長による社内改革が功を奏し、経営は劇的に改善。’87年には大ヒット商品「アサヒスーパードライ」を発売して、業界でのシェアは25%まで回復した。
著者は、そんな急成長中のアサヒビールに1990年に新卒採用で入社した。樋口社長は女性の戦力化推進のため「3年間で大卒の女性社員(総合職)を500名採用する」と発表し、著者はその「大量採用の初代」として入社した。著者は入社後すぐ大阪支社に配属となり、営業職に就いた。
著者の最初の上司となったA副支社長は、「アサヒマンは、心のこもった行動に徹する」を信念に持った現場たたき上げの幹部で、若手の育成にも熱心な人物だった。日々の研修の後、夕刻に新人を集めると自らオリジナル研修を主催したり、休日には寮生活をする新人に手料理を振る舞ったりしてくれた。公私なく、できる限りの時間を部下の成長のために費やしてくれた姿勢は、著者の仕事へのスタンスに大きな影響を与えた。
A副支社長が若手育成に情熱を注いでいた背景には、会社が業績不振の際に早期退職で辞めていった仲間への思いがあったという。本来であればもう少し低い役職に任せてもよい部下の指導を、「自分ごと」として取り組んだ素晴らしい人だった。
著者は2000年、32歳のときに管理職登用試験に合格して、事務系総合職初の女性管理職となった。受験者は70名ほどいたが、女性は著者を含めてたったの2名だった。
昇格辞令を受け取った日、所属部署の隣の営業本部長は「初めて管理職になる君に」という手書きの心構え書を著者に渡した。そこには「メンバーに嫌われたくないと考えていないか?見せかけの優しさになっていないか?」「部下は上司を3日で見抜く」など、リーダーとしてあるべき姿が記されていた。また手紙には、「女性ならでは」「女性だから」というような言葉は一切なく、男女の区別関係なく書かれていたことに著者は驚いた。
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