海外の人から「日本のお母さんは家事をやり過ぎ」と言われている。著者がイギリスでホームステイをした際、ホストファミリーは月1~2回しか掃除をせず、バスタオルを洗濯するのも週1回程度だったそうだ。日本では清潔感に対する要求水準が高すぎるのかもしれない。しかし、やらなくても済む家事で疲弊してしまうのであれば、「やめること」を検討することも大切だ。
日本の母親が抱えている家事負担が減れば、たくさんの明るい未来を引き寄せられるはずである。洗濯や食器洗いが減れば水の使用量が減り、料理で火を使う機会が減ればガスの使用量だって抑えられる。家事の基準を下げることは、家族も地球も喜ばせられる施策なのだ。
日本で「勉強が趣味」と話せば珍しがられるかもしれないが、ヨーロッパでは勉強を楽しんでいる人もたくさん見かける。なぜ日本人は勉強嫌いなのだろうか。著者が出会ったある女子学生の話を紹介しよう。
彼女はもともと成績上位で勉強が大好きだった。しかし環境が変わって周りに勉強が得意な人ばかりになったとたん、彼女の成績は下から数えたほうが早くなり、勉強が嫌いになってしまったというのだ。勉強の中身が変わったわけでも、彼女の理解度が落ちたわけでもない。変わったのは人と比較した成績の順位だけだ。
日本では勉強の好き嫌い以前に、点数によって成績評価がつけられる。デンマークでは通知表で点数をつけることが禁止されており、幸福度ランキングでも国際学力調査でもトップクラスであることとは対照的だ。それに日本では、「その教科は得意だから、他の苦手な教科も頑張ろう」と言われることが少なくない。一方、海外では得意な教科を「さらに伸ばそう」となることが多いそうだ。海外の多くの国のように加点方式でないことが、日本人が勉強嫌いになる大きな理由といえるだろう。
好きな教科や得意な教科があるなら、それだけで「勉強が好き」「勉強が得意」と胸を張っていい。嫌いなことや苦手なことに費やせるほど、人生は長くないのだから。
日本の小学生はとても忙しそうだ。国立教育政策研究所の調査によれば、小学6年生の2人に1人が塾に通っているという。いい学校に入り、安定した会社に入社する。無事に職に就いたら、次は出世競争を続けながら定年まで勤めあげる。敷かれたレールから解放されて自由が訪れるときは、大抵の場合、人生の時間もエネルギーもそれほど残されていない。もちろん、そうした生き方も選択肢のひとつだ。だが、レールのない場所を自分の足で歩くことで、充実感を得られたり、そこでしか見られない景色に出逢えたりする。
オックスフォード大学の研究は、およそ「10~20年後には、(2013年にあった職業のうち)約半分の職業はなくなる」と発表した。必死でしがみついているそのレールが将来的にも存在するとは限らないのだ。そんな時代に求められるのは、「なにが起きても自分でなんとかする」力や知恵、人格である。それは勉強だけで身につくものではない。
GDPランキングと幸福度ランキングがまったく一致しないことを鑑みれば、「経済的な豊かさ=幸せ」が真実ではないことがわかる。「遊んでばかりいないで、勉強しなさい!」ではなく、「勉強ばかりしてないで、遊ぼう!」と伝えていく。大人も思いきり遊べばいい。その背中を見て、子どもも将来の希望を持てるはずだ。
スウェーデンの小学校の教科書には「ルールは変えるもの」と記されている。100年前と比べてルールや常識がどれくらい変わったかが説明され、常識を疑うこと、変えるために自分がまず行動することの大切さ、そしてそのためのかなり具体的な方法まで書かれている。
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