魚豊の漫画作品『チ。地球の運動について』では、自分ではコントロールしきれないくらいの情熱を持つ人物が描かれている。
舞台は15世紀のヨーロッパ。主人公のラファウは、世界を斜に見ていて、社会を要領よく渡っていける賢さを持った少年だ。だが色々あって、当時の社会では異端であった「地動説」に傾倒していく。地動説を信じることは迫害や死につながるかもしれない。周囲の人はラファウに天文学関係の書類を燃やすよう言いつけるが、彼はそれを拒否してこう言う。
「僕の直感は、地動説を信じたい!!」
世の中では「要領のよさ」や「立ち回りの器用さ」がしばしば持て囃される。要領のよさとは社会の理屈に従って、そつなく生きることだ。ラファウ自身も、地動説を放棄した方が要領よく生きられることを頭では理解している。それでもなお、理屈では説明のつかない衝動が彼を「地動説の探求」に向かわせている。
衝動とは、「自分でもコントロールしきれないくらいの情熱」であり、世の中の理屈や頭で考えた予測をすべて吹き飛ばし、私たちをどこかへ連れて行ってしまうものなのだ。
衝動はどこか「幽霊」に似ている。人は幽霊に取り憑かれると、自分の望みにかかわらず、意思決定や判断を幽霊にコントロールされる。ラファウも命を危険にさらしたくなかったはずだが、その思いを突き抜けて地動説にひた走っていく。
衝動は「将来の夢」や「本当にやりたいこと」を突き抜けて、それ以上の熱中へと誘ってくれる欲望だ。子どもの頃に「将来の夢は何?」と聞かれて、大人が喜びそうな回答をした経験はないだろうか。あるいは「そんな夢は無理だね」と言われて、気持ちを押し込めてしまったこと。つまり「将来の夢」とは、周囲の人や世間が考える範囲内の「正解」に過ぎないのだ。
「本当にやりたいこと」も要注意である。人が「本当にやりたいこと」として語るものの多くは、世間的に注目されている華々しいものか、今の自分が「正解」だと思っているもののどちらかだ。人は変化していくものである。「本当に」と重たい言葉でくるむことは、変わりゆく自分を固定してしまう危険性がある。
本書で扱う「衝動」とは、メリットやデメリット、コスパ、世間体などとは無関係なところに向かう原動力を指す。そういった意味では「人生のレールを外れる欲望」と言えるかもしれないが、意図的に外れるわけではない。衝動とは、レールがあってもなくても気にせず走っていくひたむきな力なのである。
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