東洋哲学における最強の哲学者は、ブッダである。ブッダは神ではなく人間だ。ブッダは王家の生まれで恵まれた環境にありながら「虚無感」に本気で悩み、29歳で出家する。
「自分探しの本場」であるインドでは当時、徹底的に身体をいためつけることで本当の自分があらわれると思われていた。ブッダもこの修行を6年間行ったが、「本当の自分」はみつからない。ある日、断食の修行で死にそうになっていたブッダに、近所のギャルがおかゆをもってきてくれた。そこでブッダは、これまでの修行が無になると知りながら、あえておかゆを食べる選択をする。体力と気力が回復し、そのままおおきな木の下で瞑想して、悟りを開いてしまった。
悟ったのは「無我」だ。「自分とか、ない」という意味である。自分とはただの妄想であり、「ほんとうは、この世界は、ぜんぶつながっている」。よく観察すればわかる、とブッダは言う。
たとえば人間の身体の細胞は、3カ月程度ですべて入れ替わるらしい。私たちは過去の写真を見て「自分」を認識できるが、10年前の身体といまの身体は物質的に完全な別物である。また、私たちの身体は食べものという「自分以外」のものからできている。だから、自分といえるものは何もない。これが「無我」である。
実は思考も同様だ。たとえば「カレー食いたい」という思考は、「するぞ!」と思ってするものではなく、勝手にわきあがってくる。その瞬間を観察してみると、思考のことを「自分」とは感じられなくなる。「感情」も同じだ。
だからこそブッダは、人生の苦しみの根本的な原因とは「自分」であるとした。「すべてが変わっていくこの世界で、変わらない『自分』をつくろうとする」のだから、苦しくて当たり前だ。老いという苦しい現実を避けるために若い自分をつくろうとすれば、苦しくなる。
楽になるには、これを受け入れるしかない。ブッダは、自分がいるという慢心をおさえると最上の安楽が訪れる、と語った。この「一番、きもちいい」の境地がニルヴァーナ(涅槃)である。
ブッダと同じインド人である龍樹は、ブッダ亡きあとの700年間におよぶ学者たちの論争によって非常に複雑となった仏教の教えを、超シンプルにまとめた。それが「空」である。
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