会計ソフトウェア専業の駒沢商会の東京オフィスに、地方でセールスをやっていた女性が転勤してくることになった。名前は宮前久美。10年間セールス一筋で、武勇伝は数知れない。契約のためなら反則スレスレのやり方も辞さない。そんな彼女は「セールスはもう十分」という本人の希望で、商品企画部に異動することになったのだ。
「この会社の商品、みんなガラクタです!」
出社初日に彼女が商品企画部の会議で放った一言に、場が凍りついた。久美が異動を希望したのは、現場の営業が売るのに苦労するような「ガラクタ」をちゃんとした商品に変えるためだというのだ。
そんな癖の強い久美の教育係になったのは、商品企画部の与田誠だった。3年前に駒沢商会に転職してきた与田は、主にソフトウェア企業を中心にマーケティングの経験が長く、知見も深い。部長にも頼りにされる存在だ。部内で定期的に開催される勉強会では、与田を中心にマーケティング戦略を学んでいる。通称“与田スクール”に、久美も参加することとなった。
その日のテーマは「事業とは何か?」だった。与田はこう言う。自社の事業を定義するうえで何よりも大切なのは、“顧客視点”であると。これに呆れかえったのは久美だ。10年間現場でお客さんと接してきた自分には、顧客視点から見たウチの事業など当たり前すぎて、今さらだと言うのだ。「ウチの事業は、“お客さんの役に立てる会計ソフトを開発して、提供すること”に決まっているじゃないですか」を、ため息まじりに言う久美は、勉強会は役に立たないと決めて帰り支度を始める。その様子に、今度は与田がため息をついた。
「思った通りの退屈な答えでしたね。0点です」
久美はピタッと動きを止めて与田を見た。
「あなたの考えはきわめて、とても、すごく、“あ・さ・い”」
久美は激高した。まくしたてるように自分の何が浅いかを聞き出そうとしたが、与田は何事もなかったかのように勉強会を続ける。そして、アメリカにおける鉄道の話を始めた。
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