「エチカ」とは、ラテン語で「倫理学」を意味する言葉である。簡単に言えば、どのように生きるかを考える学問のことだ。
『エチカ』という本は、少し変わった形式で書かれている。数学の教科書のように、まず用語の「定義」が示され、次に「公理」と呼ばれる論述のルールが続き、その後もいくつもの「定理」とその「証明」が並び、さらに「備考」がついて……という形式が繰り返される。読者はまず、この形式に驚くことだろう。
『エチカ』は全5部で構成されているが、國分氏は第4部「人間の隷属とあるいは感情の力について」から読みはじめることをおすすめしている。ここは『エチカ』全体の序文として読むことができるようになっていて、全体像をつかむ手がかりになるからだ。
第1部では神が詳しく定義され、第2部では物理学的・生理学的な視点から人間の「精神」と「身体」について論じられる。続く第3部では、「感情」の本質に迫り、それを引き継ぐのが第4部である。この第4部の序文では、善悪の概念がスピノザ独自のやり方で定義されている。
スピノザはまず、「完全」「不完全」という概念を次のような例で説明する。建築途中の家を見て不完全だと思うのは、私たちが家について「一般観念」を持っていて、それと比較しているからだ。自分の持っている一般観念と一致すれば完全だと感じるし、一致しなければ不完全だと感じる。しかし、この一般観念というのは偏った見方にすぎない。スピノザはそう指摘し、すべての個体はそれぞれに完全なのだと主張した。ある個体が不完全に見えるのは、単に一般観念という「偏見」と比較しているからなのだ。
自然界に「完全/不完全」という区分は本来存在しない。それと同じように「善/悪」という区分も自然界には存在しないとスピノザは考えた。スピノザによれば、善悪には「組み合わせ」しかない。例えば、「憂鬱の人」と音楽が組み合わされて、その人に力が湧いてきたら、音楽は善いものである。「悲傷の人」が悲しみに浸るのに音楽を邪魔だと感じたら、その人にとって音楽は悪いものである。「聾者」にとっては、音楽は善くも悪くもない。
音楽に限らず、自然界にはそれ自体で善いものも悪いものもない。うまく組み合わさるものと組み合わさらないものがあるだけだ。
スピノザは『エチカ』でどのように生きるべきかを考えようとした。しかし、自然の中に善悪がないというスピノザの考え方からいえば、どんな生き方をしても変わらないということにならないだろうか。どんな生き方が「善い」といえるのだろうか。
これについても、スピノザは組み合わせで考えた。先の例で、「憂鬱の人」は音楽を聴いて心が癒され、本来持っていた力を取り戻すことができた。スピノザはこうしたことを「活動能力が高まる」と表現し、うまく組み合わさって「活動能力を増大」させるものを善いものと定義した。
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