任正非は1944年、深い山に囲まれ雨が多く、下界から隔離された貴州省の山奥で生まれた。任は孤独で多感な少年時代を過ごした。飢えや貧困、両親が文化大革命期に受けた政治的な差別、純朴な風俗、閉ざされた地形、悲しいほど乏しい情報などは、任の心の奥底に深いひだを刻んだ。孤独を感じ、孤独に耐え、孤独を楽しむことこそが、彼の性格の本質的特徴なのだ。
任には娯楽などの趣味らしい趣味がない。読書と思索が唯二つの例外だ。友人もほとんどいない。中国の企業家たちがサークル作りに励み、輪の中に入ろうと躍起になり、人脈を利用しようとしている傍らで、任は政界や財界、メディアとの付き合いを拒み続けてきた。他者とのコミュニケーションは得意であり、中国のことや世界のこと、経済・政治から歴史・文化に至るまであらゆる話題を自信たっぷりに語る。だが、話のテーマがファーウェイから離れることは決してない。
44歳で商人となった一人の男、ゼロから起業した退役軍人、決して他人の後ろを歩まない理想家は、自分自身とファーウェイに対して最初から気の遠くなるような高い目標を課し、それをやり遂げる使命感をもって全身全霊を捧げたのだ。
創業当時、中国市場では世界最高レベルの欧米企業が受注獲得を争っていたが、ファーウェイはまず、欧米企業が見向きもしなかった県レベルの郵便電話局から顧客を開拓し、そこから市レベル、省レベル、全国レベルへと10年かけて足場を拡げていった。「農村部から着手し、徐々に都市部へと浸透する」という市場戦略は、後の海外進出時にも応用され、大きな成果を上げることになる。
1998年に香港、1999年にはロシアで契約を獲得、それから5年をかけて世界各地に顧客を広げていった。その多くはアフリカや東南アジアなど通信インフラの整備が遅れた発展途上国だった。欧米企業がやりたがらないプロジェクトをあえて引き受け、やり遂げることで、顧客の信頼を築いた。そして、2003年頃にはライバル企業から一目置かれる存在になった。
そして2005年頃から、欧州市場に本格進出した。欧州はスウェーデンのエリクソン、フィンランドのノキアなど名門企業の本拠地だ。欧州でも大手通信業者からの受注を相次いで獲得し、欧州市場での契約額は毎年数十億ユーロに上っている。さらに日本市場にも進出し、ソフトバンク、NTTドコモ、KDDIという三大移動体通信業者に基地局や端末を供給している。
創業期のファーウェイは他の数千万社の中小企業と同様、市場の底辺で必死にもがいていた。「世界レベルの企業を目指す」というスローガンを掲げた時、任は身の程知らずの大風呂敷であることをはっきりと認識していた。生き延びなければ将来が開けることもあり得ないからこそ、自社製品も資金もない中、競争相手の外資企業と国有企業の十字砲火を死にもの狂いでかいくぐり、生き延びてきた。こうして「生き延びる」ことはファーウェイの最低限かつ最高の戦略目標となった。
3,400冊以上の要約が楽しめる