東日本大震災が起きたとき、著者はブータン政府での産業育成の仕事に従事していた。凄まじい被害の様子を知るにつれ、「いまは、日本人として、日本のために働くべきときではないか」という思いが募り、帰国を決めたという。
東北の自治体で産業復興に関わる仕事をしたりするうち、現場で事業や産業を育てなければ、何も生まれないと著者は痛感した。そこへ、親交のあった糸井重里氏から、思いがけない提案を受ける。「気仙沼で編み物の会社をやりたいんだけどさ。たまちゃん、社長やんない?」。
その言葉がきっかけとなり、気仙沼で下宿をしながら、編み物の会社を起ち上げるという、新しい挑戦が始まった。
震災の翌年の2012年、気仙沼ニッティングは糸井重里氏が主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)のプロジェクトとしてスタートした。なぜ「編み物」だったのか。
まず、編み物なら工場がなくても、仮設住宅に住んでいても、「とにかく始められる」から。
次に、「着たくなる」デザインを生み出せる、編み物作家の三國万里子さんとご縁があったから。
三つ目には、漁師町である気仙沼には「編む」文化が根づいていたから。海に出る漁師のために、家族は無事の祈りをこめてセーターを編んだ。手先が器用な漁師も、暇つぶしに海で編み物をしたのだという。このことは、編み手確保という実践的な点からも、編み物は自分たちの産業だと気仙沼の人に思ってもらえるという点からも、意義深かった。
最後の理由は、編み物ならば「服」を作れるし、「服」ならば採算のとれる価格設定にしやすいからだった。ファッションの世界では、高くつく手間も反映した売値をつけられるということは重要なポイントだった。
プロジェクトをスタートすると同時に、著者らはアイルランドのアラン諸島に向かった。
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