日本人は、意見の違う人が混ざり合って真実を見極めようとする習慣に乏しく、意見がモノトーンになりやすい。まるで、絵の具の色を混ぜていくとやがて黒になる「減算混合」のようである。こうした思考でいると、色々な意見が混在しているにもかかわらず、一つの方向へ集団として流れてしまう危険がある。
日韓関係を例にとろう。日本の政治家は一方的に韓国と対立する方向へ追い立てる向きがある。一方、韓国でも、日本のことを褒めるとバッシングを受けるといった過剰反応が繰り返されている。日本人は、過去の侵略問題について謝るべきときは謝り、誤解があれば誤解を解き、そして、日本を嫌いになるように仕向ける極端な教育ではなく、別の見方も教えてほしいと地道に対話していかなくてはいけない。
そこで大事になるのは、全部を否定したり肯定したりせずに、異なる見方を自ら進んで導入する「加算混合の発想」である。異なる色の光を重ねていくと、やがて透明になる現象のように、一つの色(=視点)だけで見て、やたら色を増やしていくのではなく、異なる角度から違う光を加えてみるという発想だ。
外交 戦争や貿易戦争で投げかけられるのは原色の絵の具だ。相手の色とぶつかって暗黒色となり、ついには自らの色さえ識別できなくなってしまう。日本だけが正しいとか一方的に誤っているということはあり得ない。こうした透明な心で冷静に話し合えば、中間色にたどりつき、異国間の緊張は著しく緩和すると考える。
情報化時代に入り、観察は非常に貴いものになっている。心の眼が閉じた人は、新しいものや奇抜なものにしか目を留めない。だが、なぜ二人の人間が合意し、反対しあうのか、なぜ企業集団の中で閥ができるのかといった、ごくありふれた領域においてこそ、未解明の問題が山積しているといえる。例えば、教育制度からも日本社会の矛盾が見える。義務教育は能力差、個人差がないという前提で組み立てられており、学習内容も画一的であるが、社会人になれば職業は千差万別だ。
自然界の事象や人間の営みを「おや、なぜだろう」という心で見続けていると、観察が鋭くなり、「発見」につながり、データやその分析に対しても虚心坦懐に臨むことができる。会社の業務や市場動向、競合の動き、社会構造の変化などにひそむ「意味」に気がつき、対策を打てるようになってはじめて、「発見」が役立つようになる。
大きな成功を収めている日本企業は、世の中の流れを見極め、自社と競合の強さ、弱さを見抜いて、「ふとしたきっかけ」からつかんだ事象の発見を実践に移しているケースが多い。物事を自らの眼で見て、創意工夫を実行できる人材がいる会社は、いくらでも成長の機会が転がっているといえる。
われわれの身の回りから多くの日常品が消え去り、常に置換が起こっている。置換の特徴は、同じような商品ではなく、全く別次元のものに置き換えられる場合も多いことだ。置き換えられる側は、単価を上げて収入を確保しようとするため、これが客離れをいっそう促してしまう。
同様に、人件費の上昇も置換を加速する。「時間」の価値が高まるため、より速く移動できる交通手段に代替される。これこそ自由競争社会の醍醐味であり、事業拡大の機会は尽きることがないという見方もできる。
自由経済の真の良さは、人間の「もうけたい」「楽をしたい」という願望が、
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