ドトールが全国に広がっていった背景には、創業者である鳥羽博道氏の強烈な理念と、それを支える数々のドラマがあった。
昭和30年代、当時20歳でコーヒーの卸売会社に勤めていた博道氏は、ブラジルの農園を手伝うという一大決心をした。ブラジル人とのつながりを育てた3年間を経て、理想の会社は自分でつくるしかないと考えた博道氏は、帰国の翌年に有限会社ドトールコーヒーを設立した。
コーヒー豆の焙煎卸業はなかなか軌道に乗らず、毎朝のように「倒産」の文字が博道氏の頭をよぎったという。そんな中、驚くような回転率を誇る京都の喫茶店にめぐり会った。そのことがきっかけとなって、博道氏は、当時の喫茶店が持つ退廃的で不健康なイメージを払しょくし、老若男女が気軽に集まる新しい喫茶業を生み出したいと思い始めたのである。こうして、ドトールの前身となるコーヒー専門店「カフェ・コロラド」が、1972年、東京・三軒茶屋に誕生し、驚くほどの繁盛ぶりを見せた。本格的なコーヒーと、他にはない軽食、そして創業者のブラジルでの経験やセンスが活きた内装デザイン。これらが評判を呼び、コロラドは10年かけて250店舗にまで拡大していったのである。
博道氏は、ヨーロッパの焙煎業や喫茶業の視察ツアーに参加し、パリのコーヒー文化や、ドイツの有名コーヒーショップにあった挽き売りコーナー、スイスの焙煎工場のクリーンさにふれ、大きな感動と気づきを得る。「安い値段で、さっとコーヒーを飲んで会社に向かえる」。ヨーロッパで見た構想を、日本で実現するときが来たと直感した。それが形になったのが、1980年、東京・原宿に誕生したドトール一号店である。
世間を驚かせたのは、コーヒー一杯150円という革命的な価格設定だった。喫茶店で飲めば、300円、400円が当たり前の時代である。博道氏は「コーヒーで人に喜んでほしい」という思いを起点に、そこから逆算してフードメニューの充実や、全自動で抽出する機械の導入など、「一杯150円で成り立つ店づくり」を考えていった。
ドトール一号店には、本格的なコーヒー、そして一客2300円という高級カップが用意されていた。業界から見ても「クレイジー」に映る本物へのこだわりが、顧客にもきちんと伝わっていたからこそ、顧客が殺到したのだろう。「今までにないものをつくり上げていく」という創業者の思いは、ミリ単位で計算し尽くされた形のオリジナルカップにも現れている。
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