もともと、労働者と企業の関係は、労働基準法の制定前から民法で定められていた。なぜ新たに労働法が必要になったのだろうか? それは「民法の規定が使いものにならなかったから」だと著者は言う。
「国民はみな平等」という世界観をもつ民法には、法の介入なく、各自が自由にやってもよいという「私的自治の原則」がある。雇用契約の分野でも、会社はいつでも労働者を解雇することができる「解雇自由の原則」が規定されている。しかし実際には、労働者の立場は弱くなりがちであるため、労働者を保護し、使用者側を抑止するための法律が別途必要となった。それが労働基準法や労働契約法などの労働法である。
労働契約法では「解雇権濫用法理」が定められている。労働者を解雇するためには、客観的に合理的な理由がなくてはならず、社会通念上相当、すなわち解雇が重すぎないといえる場合でなければならないとされている。たとえば、あまりに仕事ができない社員であっても、その事実を客観的に証明できるか(企業側の立証責任)、研修や教育の機会が十分にあったか(解雇回避努力義務)といった点をクリアしなければ解雇は認められないというわけだ。
アナウンサーの内定取消問題でも、この「解雇権濫用法理」が最大のハードルとなった。企業側は「アナウンサーには高度な清廉性が必要」と主張したが、実際には世論の批判も後押しとなり、内定取消は取り下げられた。「社会通念上相当」とは言えないという判断がなされた一例だといえる。
不況のあおりを受けて行う整理解雇の場合、会社都合の側面が強いため、その実施はいっそう困難となる。整理解雇の4要件である「人員整理の必要性」、「解雇回避の努力を尽くしたこと」、「対象者の選定基準の公正さ」、「労使間の協議手続が取られていること」を満たしたうえで、整理解雇が妥当かどうかを判断しなくてはならないからだ。
近年ではJALの整理解雇が認められたケースが話題となったが、企業側の勝利は珍しく、整理解雇が争われて訴訟になった場合、会社の敗訴率は8割程度とも言われている。
企業としては本人の意思による退職という形を取ることが望ましいが、退職を強要したと取られないよう、進め方には注意が必要だ。声を荒げて退職を迫るような行為は当然NGである。一方で、
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