スターバックスとサザビーの出会いは、当時サザビーの社長だった鈴木隆三の兄、角田雄二が、米国のスターバックスを訪れたことから始まる。コーヒーのにおいだけでない、どこかなつかしい「いいにおい」を感じた雄二は、やがてその理由に思い至った。スターバックスの店舗デザインや、スタッフの醸し出す雰囲気が、サザビーで手掛けていたアフタヌーンティーのものに似ていたのだ。コーヒーと紅茶という違いはあれど、スターバックスもアフタヌーンティーも、「洗練されたライフスタイル」を提供するショップという点で一致していた。
すっかりスターバックスに魅了された雄二は、日本で展開できたらおもしろいのではないかと思い立つ。すぐに隆三に許可を取り、当時スターバックスのCEOだったハワード・シュルツに手紙を書いた。「いっしょに日本での事業展開を考えませんか」。すると、シュルツ本人から電話で、シアトルへの「招待状」が届いた。シュルツもまた、日本での展開を考えて、パートナーを探していたのだ。実際に会った3人は、すっかり意気投合する。話はとんとん拍子に進み、当時サザビーの経営計画室長であった著者がプロジェクトの総責任者として指名された。
その後、パートナーとしてのサザビーを不安視したハワード・ビーハー(スターバックス・コーヒー・インターナショナル社長)が日本を視察に訪れたが、アフタヌーンティーの店舗に招待することで、その不安は払拭できた。「店舗に足を踏み入れた瞬間に状況を把握する」という伝説をもつビーハーは、アフタヌーンティーのセンスの良さ、ライフスタイルへの理解の高さを即座に見抜いたのだ。こうして、共通の魂を持つ「主人公」たちが集まり、日本でのスターバックス立ち上げプロジェクトはスタートした。
立ち上げの後には、苦しいプロセスが待っていた。深い香りと味わいをもたらすダークローストのコーヒーと、魅力的な店舗によって、家でも職場でもないもう一つの居場所「サードプレイス」を提供することがスターバックスの理念だった。しかし当時日本のサラリーマンにとって、コーヒーの値段は1杯200円が限度であった。ドトールなどの従来のチェーンはあくまでコーヒーを飲むためだけの場所で、回転率も高い。それと比べると、スターバックスの店舗は効率が悪く、その値段ではペイしないことがわかっていた。
現在の日本では、米国スターバックスのような店舗で収益を上げることは難しい。そう報告すると、ビーハーは顔を真っ赤にして怒った。
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