著者は日立の半導体微細加工技術の技術者出身で、エルピーダ、半導体先端テクノロジーズ等、第一線で研究をされた方である。いわゆるビジネス面の分析ではなく、技術力を具体的に細分化して戦略を語る視点が他著者と異なる点だと言えよう。序章において、日本の半導体産業の凋落過程を語っている部分から紹介したい。
日本の半導体、電機産業、インテルには、世界シェア1位かつ世界最先端の技術があったところから、凋落している点に共通項がある。その原因は、各産業や各企業が、世の中の変化、つまり、パラダイムシフトに対応することができず、「イノベーションのジレンマ」に陥ったことである。
イノベーションのジレンマを言い換えると、トップ企業が収益源である既存顧客の要求を重要視するあまり、性能や品質が劣るが「安い、小さい、使いやすい」破壊的技術に駆逐される現象をいう。
コンピューターのトレンドは、1970年から十年ごとにメインフレーム、ミニコン、PC、ノートPC、タブレット・スマホと遷移する中で、日本の半導体、電機産業、更にはインテル等の企業は破壊的技術への対応に後手を踏んだのだ。
日本の半導体産業の栄枯盛衰は第二次大戦時の戦闘機、零戦を彷彿させる。開戦当初、米国の零戦対策は、「零戦を見つけたらひたすら逃げること」だったという。しかし、戦争も終盤になると、徹底的に研究され、その弱点が露呈する。零戦は高高度性能、高速性能、防弾性能に問題があった。米国の戦闘機グラマンは、高高度からの一撃離脱戦法で攻撃し、零戦を次々に撃墜するのだ。
さらに、海軍から要求された格闘戦性能や航続距離を実現するため、機体を極限まで軽くする必要があり、パイロットを守る防弾壁が設置されなかったのだ。そのため、なにより貴重なベテランパイロットを、日本海軍は次々と失うことになった。
かつて日本のDRAMメーカーは、顧客のメインフレームメーカーから、「壊れないDRAMをつくれ」と言われ、25年保証の高品質DRAMをコスト度外視でつくった。顧客からの要求に必死に応じた結果、衰退するという点で、零戦と日本の半導体産業は類似していると言える。
日本で喧伝される「日本の技術力は高い」ということに対しても、筆者は疑問を提起する。
一般の日本人もマスコミも評論家も学者も、日本は「ものづくり国家」であり、「日本の技術力は高い」ということをなんの疑いもなく無邪気に信じている。日本は確かに1980年代に、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるほどに世界を席捲した。しかし、それから30年も経つというのに、「それでも日本の技術力は世界一」と言い続けているのはどういうことだろうか。おそらくなんら深い見識もないのではないか、と考えざるを得ない、という。
技術力には、高品質をつくる技術力、高性能をつくる技術力、低コストでつくる技術力、短時間でつくる技術力、といったように様々な評価軸がある。ある一つの評価軸で技術力が高いというだけでは、十分ではないのだ。特に1970年~80年代に入社した人たちは、強烈な成功体験を持つため、「技術力では負けていない」という根拠のない過信を持っているため、企業変革の妨げになる方も散見されるのである。
技術力には複数の評価軸があることは前述の通りである。日本は、高品質を作る技術では高いものを持っているが、低コストで作る技術に関しては、韓国・台湾勢に劣っている。これは半導体に限らず、日本の電機産業、ものづくり産業全体にも言えることではないか。特にテレビにおいて、ソニーのトリニトロンから始まってシャープの液晶テレビに至るまで、高画質および高品質につくる技術では世界を圧倒してきた。
しかし、テレビが薄型デジタルテレビにパラダイムシフトする中で、
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