一般的に言って、貧困は飢餓を連想させるものである。10億人以上が飢えに苦しんでいるという事実が、2006年6月、国連食糧農業機関(FAO)によって発表された。貧困ラインの設定も、多くの国では飢えを基準に定められている。つまり、「貧しい人」とは充分な食糧を持っていない人を指しているわけである。そのため、行政による貧乏人支援の発想は自然と、食糧の大量提供に行き着く。とにかく食事が足りていないのだから、量をまず満たす必要があるというわけである。
だが、実際に1日99セント以下で暮らす人々の実態を見てみると、餓死寸前とは思えない行動をとっている。餓死寸前なら、持ち金はすべてカロリーを補給するために充てられるはずだ。しかし、18カ国の地方に住む極貧層の消費額を見てみると、食費にはたったの36%から79%しか充てられていない。都会に絞っても、食費に充てられる割合は53%から74%に留まる。
しかも、カロリーや栄養素の摂取を最大化するように食費が使われているとは限らない。米や小麦の購入に多額の補助金を受けたある地域では、主食のコストが低くなったにもかかわらず、全体の消費量はかえって減ってしまったという。その代わり、エビや肉などをたくさん食べるようになり、全体としてカロリー摂取量は増加しなかったか、あるいは減少してしまった。つまり、カロリー摂取の増加は貧困層においても最優先事項として扱われず、美味しいものを食べることのほうが優先されるのである。なぜこのようなことが起きるのだろうか?
飢餓は確かに今日でも存在するが、それは食糧分配というシステム上の問題であり、食糧の絶対量自体はすでに足りている。実際、最貧困の人のほとんどは、充分な食事をとれる程度には収入を得ている。
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