1911年に「出光商会」として創業した出光興産は、世界大戦が終了する頃には従業員数1000人を超え、そのうち800人が海外での業務に従事していた。しかし第二次世界大戦に敗れたことで、それまで領土としていたアジアの国々に対して日本は領有権を失い、出光氏がつくり上げたアジアの各拠点も、すべて失われてしまう。
ゼロどころかマイナス地点からの再出発。出光氏は既に59歳になっていたが、それでも出光氏は終戦から二日後、社員を前にこう述べた。
「一、愚痴を止めよ 二、世界無比の三千年の歴史を見直せ 三、そして今から建設にかかれ」
普通の人であれば、失ったものに茫然としてそこに立ち尽くし、何も考えられなくなり、頭が真っ白な状態になってしまうものだ。そういう状況で、「3000年の歴史を振り返って日本人というのはどういう民族か考え直せ」という訓示をしたということが、出光氏の偉大さを際立たせている。
前向きに社員を鼓舞する言葉を発した出光氏だが、終戦時に出光の仕事はまったくなかった。そのうえ、海外で働いていた800人が引き上げてくる。常識的に考えれば、社員には一度会社を辞めてもらい、その中からいい人だけを再度雇って再建策を講じようということになるだろう。
そうした建言が重役から出されたが、出光氏は「まかりならん。こういうときこそ、日頃唱えている家族主義を実行しなければいけない。(中略)一人も辞めさすことはならん。出光は事業はなくなり借金は残ったが、海外にいる人材こそ唯一の資本である。」と説き、従業員の解雇を断った。
GHQから依頼されたラジオの修理、販売を手掛けたり、旧海軍の石油タンクの底に残る泥水混じりの油をすくったりしながら、家族である社員を守るために仕事を探し続けたそうだ。
経営の神様と呼ばれた松下幸之助ですら、終戦直後に印象的な言葉は残していない。それだけ出光氏の言葉は非常に強いものであり、またその覚悟を感じさせるものであった。
イギリスが利権を握り、巨額の富を得ていたイラン国内での石油開発に対してイランが反発し、石油の国有化を目指していた。イラン政府は石油の国有化を宣言し、それを抑えようとしたイギリスとの関係は悪化、イラン国内で激しい反イギリス運動が起きていたのだ。
イランの石油輸入を一度は断念した出光氏だったが、アメリカとイギリス、フランス、オランダなどの各石油会社が組合をつくってイランの石油を買うというニュースを聞き、イランへ石油の買い付けに行く決心をした。
派遣した日章丸がイギリス海軍に拿捕されればイランから買い付けた石油はすべて没収される可能性があったが、拿捕はされるかもしれないが撃沈させられて人命を失うことはなさそうだと判断した出光氏は、1953年3月に神戸港からイランに向けて日章丸を送り出した。
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