現在、日本の労働人口の約8割が「会社」に属している。会社勤めで人生を楽しんでいるなら問題はない。しかし、嫌々出社し、退屈なルーティンワークに耐えている人が多いのではないか、と堀江氏は言う。会社という枠組みに縛られているがために、無駄な部分が生じている。
「一流の会社に入れば、せめて正社員になれれば、年功序列で昇進し、給料も上がり、一生安泰に暮らせる」。これは高度経済成長期にしか当てはまらない昔話にすぎない。多くの人は会社にいると「嫌なこともたくさんある」にもかかわらず、失敗を恐れるために「会社」という割高な保険に加入する。この発想自体が間違いであり、自分で望んで決めたのではない「他人の時間」を生きているために、人生の満足度が下がってしまう。
本来なら周囲と違うことをするほうが、差別化できて得をする。しかし、日本の教育では人に合わせることが善とされているため、上司に嫌われるのが怖くて、オープンに不満を言うことができない。本音を言い合うことに慣れていないせいで、意見が違うだけで仕事を失う可能性すらある。これこそが、日本が他国から「世界で最も成功した社会主義国」と皮肉られている所以だ。
堀江氏が疑問を抱いているのは、日本人が、一つの専門性を極めることを褒めたたえておきながら、「何でもほどほどにできるジェネラリスト」を企業内で育て、重宝する点である。しかも、ジェネラリストを求めているのに、副業を禁止して、社員が複数のスキルを磨く機会を奪うという矛盾ぶりである。本来なら、色々な分野を試すことで普段と違うスキルが身につき、相乗効果が生まれることも多いはずだ。
日本から、既存の価値観を破壊するイノベーションがなかなか生まれないのはなぜか。その原因の一つは、日本企業には、異端の技術者や経営者が能力を発揮できる環境が整っていないからだろう。無難な選択をする人のほうが出世しやすいし、そもそも画一的な教育のせいで、人とは違う道を行くというマインドが育ちにくいというのもある。これは人と違うものをつくり出す起業家をカッコいいととらえるアメリカとは対極的だ。
大規模な会社のほうが、大きいことを成し遂げられるという発想も間違っている。堀江氏が業務マネジメントを行っているSNS media&consulting社は、たった10名未満で運営されている。その経験から、少数精鋭でも大企業と同規模、またはそれ以上の規模のプロジェクトを動かせるという確信を得たという。
また、大企業には新人育成のノウハウやロールモデルが豊富というが、そんなものは本当に必要だろうか。ロールモデルは会社の外部でも見つかるし、彼らの真似をして、その行動をとる意味を自分なりに考えて改良を重ねれば成長できる。
このように、会社という仕組みは無駄なものだらけだといえる。
世の中にあふれる非効率な作業は今後、AIやロボットが代替してくれる。3Dプリンターによる造形も、より大型なものや精密なものにも対応できるようになると目されている。とはいえ、人から大幅に仕事が奪われることはありえない。なぜなら、精密機器の製造にしても、部品づくりは自動化されているが、実際のデザインや組み立ては職人が担うからだ。
また、イケている職人は、仕事の効率化を求めて、自分たちの技術を機械で再現できる方法の研究に励んでいる。面倒な仕事を機械がやってくれるなら、その分、より多くの時間を好きなことに費やせる。こうした発想がますます重要になるはずだ。
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