「わたしたちは、なぜお金を使うのだろうか」。この質問に答えるには通常は東アフリカやトルコ西部に出向き、そこで化石を手掛かりに考察を深めていくという道筋をたどる。しかし、著者はさらに深いところから考察するため、モノを交換するという行為の起源を探ることから考察をはじめた。
貨幣が発明されるはるか以前から、生物は生きるために交換行為を続けてきた。あらゆる生物にとって、助け合いによる共生関係は生きていくために必要不可欠な要素だからである。そこで交換されてきたものはエネルギーである。エネルギーは自然界の貨幣と言っても過言ではない。あらゆる場面でエネルギーは交換されている。例えば、ミツバチがせわしなく動かす羽は、花を電気で刺激しており、負の電荷を持つ花粉はそれによってミツバチに引き寄せられる。貨幣はこうしたエネルギーの代用品として進化したものだというのが著者の仮説である。
人間社会においても共生、協力関係は生き残りに欠かすことができない。人類はその誕生から長い時間をかけて協力が生き残りのチャンスを作るという事実を学んだ。さらに、人類は旧石器時代の壁画芸術に見られるように、象徴を操る能力を獲得した。それらによって、生き残りという目的を達成するための社会的道具である貨幣が創造されたのである。その貨幣は変化を続け、金塊、硬貨、紙幣、電子マネーと今日も抽象度を高めていっているのである。
経済学の基礎講座で学生はホモ・エコノミクスという概念を学ぶ。合理的かつ論理的に行動する人間像であり、それが多くの経済理論の前提になっている。しかし、近年、心理学を駆使した行動経済学者らにより、人間がいかに多くの非合理的な決断をしているかが証明されてきている。人間の行動は、論理や合理性によってのみ影響されるわけではない。不安や高揚感といった感情に促される場合もある。
私たちが金融上の決断をする際には、経験則が判断を左右するが、この経験則の中には誤った認識をもたらすものもある。有名な例が、損失に関するものである。人間は利益と損失について対等に評価せず、損失のほうを重大視しその回避を優先する。こうした認知バイアスに影響され、人間は無意識に非合理的な行動をとることがある。
最近の神経学の研究では脳画像の検証により、感情が金融の決断を左右する事実が明らかにされている。私たちが自覚していなくとも、お金は人間の脳に刺激を与え、意思決定や行動を促しているのである。こうした研究結果を取り入れている経済学者はまだほとんどいない。だが、今後研究が進むのは時間の問題だろう。
経済学者は長年、物々交換がお金の前身であると主張してきた。しかし、実際には古くから別の金融商品が流通していた。それが債務である。硬貨が発明される何千年も前から、古代メソポタミアでは利息付きの融資が存在していた。債務こそお金の前身なのである。
そしてこの債務は二つの領域に分けられる。贈与に基づいた私的な領域と市場経済に基づいた商業の領域である。どちら領域の債務にも義務が伴う。引き受けたからにはそれを尊重しなければならないのである。そして義務には道徳的な意味が含まれている。債務を軽んじるのは間違った行為なのである。こうした債務が市場の債務としてお金で計算されると、他者を支配する手段としてお金が利用される可能性が浮上するのである。つまり、市場における契約のもとでは、借金を支払うために医者へ行くな、妻を売りとばせ、奴隷として働けと命じられうるのだ。
文明の誕生以来、同じ問いが繰り返されてきた。お金はそれそのものが固有の価値を持つのか。それとも何かほかのものの価値を象徴するだけなのか。
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