「マネーとは何か。どのようにして生まれたのか」と問うと、人はだいたい次のように答える。「古代の人びとは物々交換でモノのやりとりをしていたが、自分が欲しいものと相手が欲しいものが必ずしも一致するとは限らず、効率が悪かった。そこで交換の手段として耐久性がある金や銀が選ばれ、それ自体が価値のあるものとして取引されるようになった。これがマネーである」。こうした理解は広く共有され、標準的な貨幣論となっている。だが、多くの人類学者が研究を重ねても、物々交換で成り立っていた社会の証拠を見つけることはできなかった。
一例として、太平洋に浮かぶヤップ島に存在する巨大硬貨は、信用取引の代用貨幣であった。ヤップ島におけるマネーは、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・決済システムであった。
マネーシステムが機能するには通貨が不可欠で、商品価値は「交換の手段」として機能していたというこれまでの貨幣論は間違っていた。信用取引をして、通貨による決済をするシステムこそがマネーである。譲渡可能な信用という社会的な技術こそが基本的な力であり、マネーの原始概念なのだ。マネーは実際にはモノではなく、社会的な技術である。
古代メソポタミアでは経済が発達し、文字や数の概念が生まれ、会計が形づくられたが、マネーは発明されなかった。それは、メソポタミアの官僚主義的な指令経済はきわめて高度なものだったため、「普遍的な経済的価値」という概念が必要なかったからである。
マネーは3つの構成要素を必要とする。1つ目は経済的価値という普遍的な概念、2つ目は価値単位で記録する慣習、3つ目は譲渡の分権化である。
この3つの要素がそろって、マネーは「市場」という奇跡を創造した。硬貨が発明されると、金銭的義務を記録して、人から人へ譲渡させるという夢の技術が生まれた。そして市場が取引の原理を作り、価格が人間の活動に指示を出し、野心、起業家精神、イノベーションが次々に生まれるマネー社会の時代が到来する。社会的地位はお金を蓄積する能力で決まり、人間の価値を測る唯一の物差しがお金になった。さらには、マネー社会では社会移動と政治の安定を約束できるとされた。
また、「普遍的な経済的価値」という概念は、物理的世界の属性ではなく社会的現実の属性であり、富や所得をどう分配し、だれが経済的リスクを負うかという倫理の問題もはらむため、その標準は政治によって決まるものでなければならない。
マネーが社会や経済のあり方を革命的に変えた後にでてきた疑問は、「だれがマネーを支配するか」という問題だった。現在ではどの国でも中央政府が貨幣を鋳造する権利を独占的に有しているが、国は本当にマネーを支配しているのだろうか?
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