コンビニエンスストアの基本は、顧客の望む品揃えがどこまでできるかにある。日本の業界トップであるセブン‐イレブンの成長を支えた要因のひとつに、おにぎりや弁当といったフードの充実があった。フードは毎日の生活に欠かせない商品であるとともに、セブン‐イレブンのオリジナル商品であるため利益率が高く、競合他社との差別化もしやすい商品であった。
日本のセブン‐イレブン本部で商品開発に携わっていた著者が、韓国ロッテグループが運営するコリアセブン(韓国のセブン‐イレブン)の立て直しのために韓国に赴任したのは1998年のことである。しかし当時のコリアセブンではフードが売れていなかった。その背景のひとつが、韓国の街のいたるところで見かける「クモンカゲ」という雑貨屋の存在である。一坪ほどの広さの店内には、酒やたばこ、飲料、インスタントラーメン、菓子類までひと通り揃えられている。そして街頭では海苔巻きが立ち売りされ、よく売れていた。
コリアセブンの問題は競合やフードだけではなかった。コンビニエンスストアの基本である、クリンネス(清掃)や、フレンドリー(接客)、商品陳列など日本のコンビニエンスストアと比較すると、なにもかもできていなかった。
さらに店舗の品ぞろえにも問題があった。飲料、牛乳、ハム・ソーセージ、菓子など並んでいる商品の大多数がロッテグループのものだった。コリアセブンはロッテグループが経営しているため、棚はロッテ製品で埋め尽くされ、さながらロッテのショールームと化していたのだ。この顧客不在の売り場では、ロッテグループ会社がペプシコーラを製造販売しているという理由で、世界中で圧倒的に売れているコカ・コーラですら置いていなかった。
著者は経営サイドのエゴではなく、顧客が望む商品を置かなければ。顧客は他の店に流れていき、店は利益を逸してしまうことを社内外で説いた。さらに競合コンビニエンスストアではペプシコーラよりコカ・コーラのほうが売れていることも突き止め、最終的にはコリアセブンにもコカ・コーラが置かれるようになった。このケース以降は、各カテゴリの商品はメーカー目線ではなく、顧客目線で見直し、実際に韓国で売れている商品を扱うようになった。
著者が赴任した当時のコリアセブンの店頭では、おにぎりをはじめとするフードはわずかに数個が置かれているだけ。味も良いとは言えなかった。韓国では「冷めたフードはお金のない人が食べるもの」とされていて、積極的な施策が行われていなかったのだ。
しかしフードは利益率が高く、店舗の収益に直結する重要な商品である。さらに自社でオリジナルの美味しいおにぎりを開発すると他社との差別化もできる。著者はこのことを韓国人スタッフに力説したが「自社で商品開発をしても、競合他社に真似をされてしまうので意味がない」と言い返されてしまった。当時の韓国では、どこのコンビニチェーンでも同じ食品ベンダーを使っていたため、例えヒット商品を出したとしても、その製造方法がすぐに競合他社に漏れる危険があったのだ。
著者は、他社に真似されないような、おにぎりの開発に乗り出すとともに、コリアセブン専用の食品ベンダーを設立することにした。
おにぎりの開発にあたっては、日本で一番売れている具材、ツナマヨの再現に苦労した。韓国のマヨネーズは卵黄がほとんど含まれず卵白主体で作られていて、日本のものとは風味が相当異なるものであった。原価を抑えつつ日本のマヨネーズの味に近づけるのに約二か月を要した。
またおにぎりの肝である海苔でも問題があった。厚さが一定でぱりっとした日本海苔と固い食感とあえて繊維を残して厚さにムラのある味付けの韓国海苔のどちらが美味しいのか侃々諤々の討議となったのだ。
社内全体を巻き込んだ議論が尽くされ結果、双方の良いところを合わせた折衷案に落ち着いた。この海苔議論はコリアセブンの社内に「本当に美味しいものをつくろう」という気運を広げ、一体感を生むことになった。
2001年1月、コリアセブンのおにぎりラインナップは、ツナマヨに加えてキムチプルコギなどを含め全8種となった。他にキムチだけを詰めたおにぎりも開発したが、韓国の食堂ではキムチは無料で提供されており、顧客はキムチをただ白米に入れただけのものには価値を見出さなかった。外国人の著者ならではの失敗だった。その失敗を踏まえ、韓国人にも価値を見出してもらえるような魅力的なおにぎりを追求していった。
だがどれほど魅力的なおにぎりをつくっても、来店してもらえなければ意味がない。そこで着手したのが、
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