エジプトのカイロ郊外にある貧民街「死人の町」にて、著者は一人の幼い少女を抱きかかえていた。その少女の名はナディア。少女は下痢からくる脱水症状により、著者の腕の中で静かに息をひきとった。簡単につくれる飲料水さえあれば救えた命。「誰の神様でもいいから、ぶん殴りたかった」。著者は研究生活にピリオドを打ち、貧困のない世界をつくるべく世界銀行に残ると決めた。
そこから23年間、著者は世界銀行副総裁という立場で、あらゆる立場のリーダーたちとともに、貧困や権力者の腐敗、悪統治と闘い続けてきた。世界銀行(以下、世銀)の使命は、貧困のない世界をつくることである。そのためには正義を貫き、勇気あるリーダーたちを支えることが不可欠だ。これがあってはじめて世銀の融資が活かされる。世銀は国連の諸機関やNGOのような、寄付に依存する援助機関とは違って、国民のお金を預かり、業務成果をあげながら運営経費を捻出し、約束どおりに返済を行う。同時に、債券などを通じて市場から安く借り、途上国の良い国づくりのために、できるだけ安く貸す。まさに加盟国の国民を株主とする金融業なのだ。
著者は現場の視察にとどまらず、家族の一員としてホームステイを好んで行い、現場の声をすくいとり、改革への説得力を高めていった。著者の思考、行動の物差しは、あのナディアだった。「(彼女が)生きていたら喜んでくれるかしら」。著者は、一国の宰相から貧困にあえぐ村の農民まで、ともに闘う同志たちのリーダーシップを間近で見てきた。どのような立場にあっても、夢と情熱と信念を持ち、頭とハートがつながっているからこそ、人々の心を動かす。ひいては、それが途上国の発展に大きな影響を及ぼすのだ。
要約では、同志たちがそれぞれの形で発揮したリーダーシップから得た学びの一部を紹介していく。
「我が国が抱えるリスク、それは貧困に尽きる」。経済改革の父として知られ、2004年春にインド首相となったマンモハン・シン氏の言葉だ。これと全く同じ言葉を発したのは、核実験に対する経済制裁により外貨危機寸前にまで追いやられたパキスタンのムシャラフ将軍である。著者はインド、パキスタンが信頼を築いていき、両国の平和のために、ムシャラフ将軍に「シン氏と会うべきだ」と訴えていた。
インドもパキスタンも、政治家と官僚の汚職腐敗により貧困から抜け出せずにいた。「せめて我が子には教育を」と望む人々を裏切り、公共教育をも蝕んでいく。こうした現状への鬱憤(うっぷん)が暴動やテロの引き金を引くのだ。
こうした実態を、シン氏もムシャラフ将軍も経験から熟知していた。常に草の根の国民の視点から国家の未来を考え、とりわけ貧困や差別にあえぐ「声なき民」の話に耳を傾け、彼らの夢と苦しみを学ぼうとしていたからだ。そのため、彼らの言葉は魂が宿るような情熱があり、人々の心を動かした。
著者はシン氏に「良い民主主義に移行するための戦略のキーは何か」と尋ねたことがある。シン氏は「女性だよ」と断言した。政治家すなわち男は利害関係に縛られる傾向にある。一方、女性は親や子のため、国のために捨て身になる勇気を持っている。だからこそ女性議員を育成することが、良い政治の足がかりになるとシン氏は考えていた。またムシャラフ将軍は、汚職追放に向けた改革を進める中で、経済学者さえ間違いがちな経済学の知識を徹夜してでも専門家から学ぼうとしていた。
こうして2004年秋、ついに初の印パ首脳会談が実現した。国民のために奔走する、まるで一卵性双生児のような二人が固い握手を交わしたとき、著者は思わず涙した。この会談でカシミール問題解決に向けての大きな一歩を踏み出すことになったと著者は見る。世界平和のための着実な一歩だ。
春夏秋冬、各国の新学年の始まる時期をねらって出張し、登校中の子どもたちに著者は話しかけた。彼らの先生の悪口からは、貴重な知識が得られる。年金目当てに教職を賄賂で買う「幽霊教師」の存在や、教科書配布で必須となっている賄賂、そして給食は外部の人が訪れた日にしか出ないという、役人ぐるみの給食詐欺。こうした実態が浮かび上がってくる。
飛び入り訪問を始めたきっかけはトルコでの偶然だった。ある母親が、首都アンカラの貧民街で地図を片手に歩く著者に声をかけてくれた。
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