現代においても、チャーチルに関連した本が、年間100冊も出版されるという。チャーチルは何を成し遂げた人物だったのか。第二次世界大戦が終結してからの長い年月がその偉大さを風化させようとしている。
しかし、私たちは思い出す必要がある。戦時のイギリス首相チャーチルが、私たちの文明を救ったことを。そして、彼がいなければナチスがヨーロッパを支配してしまっていたかもしれないことを。チャーチルの達成した偉業は、彼だからこそ達成できた。チャーチル・ファクター、つまりチャーチル的要素とは、「一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る」ことを意味する。
では、どのような要素が彼に偉大な役割を全うさせたのか。まずはチャーチルの業績の数々を振り返ってみよう。
1940年5月、イギリスには暗いニュースが次々に届いていた。ナチスドイツ軍の侵攻はとどまることを知らず、オーストリアは二年前に占領され、チェコスロバキアは消滅し、ポーランドは粉砕され、他の国々も次々とその勢いに飲まれていった。そしてフランスが降服するのも時間の問題であった。他方、ソ連は独ソ不可侵条約を結び、アメリカは参戦する気配はなかった。つまり、イギリスは孤立していた。
その時、首相のチャーチルをはじめとする内閣の閣僚たちが悩んでいたのは、戦うべきか、それとも何らかの現実的な取引をするべきかであった。そう、イギリスはナチスドイツへの抗戦を放棄する瀬戸際まで追い詰められていたのである。
第一次世界大戦の経験者も含む閣僚たちは戦争について知り尽くしていた。あのような苦しみを国民に再び強いることは正しいことなのかと悩み、ドイツ空軍の空爆が始まる前に調停の交渉を開始すべきという強い意見もあった。その背景には、平和を求める多くのイギリス人たちの支持があった。
しかし、チャーチルは交渉を選ばなかった。交渉のテーブルに臨めば、それが抗戦の意欲を消失させてしまうと察知していたからだ。チャーチルは閣僚全員の前で演説を行った。「いま平和をめざせば、ドイツはイギリスを奴隷国家にするだろう。しかし、私たちの島の長い歴史がついに途絶えるとしたら、それはわれわれ一人ひとりが、自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで戦ってのことである」。閣僚たちはこの演説に感激し、交渉ではなく戦いを選ぶことに決着した。チャーチルはこの時、交渉を拒絶することで大量の死者が出ることを覚悟していた。同時に彼は、抵抗を放棄すれば、さらに悪い結果をイギリスにもたらすことも理解していた。
もし1940年にイギリスがドイツに対する抵抗をやめていたらどうなっていたか。今日最高の歴史家たちがこの思考実験を試みてきたが、圧倒的に大多数が同じ結論に達している。それは、ヨーロッパに取り返しのつかない災難が降りかかった、という結論である。
当時ヒトラーは勝利の目前というところにいた。イギリスの邪魔がなければ、後に起こる対ソ連戦にも勝利していただろう。そして、イギリスが自国民のために抵抗をやめていたとしたら、もちろんアメリカが参戦するはずもなかった。こうしてヨーロッパ大陸の全ての国は、ドイツ帝国の一部となるか隷属したことだろう。ナチスはそこで大量殺戮に加え、おぞましい人体実験すら繰り広げていただろう。
もしイギリスがナチスドイツと取引をしていたら、ヨーロッパ大陸は解放されていなかった。チャーチルがしかるべき地位にいて抵抗を訴えなかったとしたら、ナチスの暴走を食い止められなかったのである。
チャーチルはいかにしてチャーチルとなったのか。大きな影響を与えた人物が何人かいた。父親のランドルフがその一人である。チャーチルは父の人生にならって自分の人生を設計していたふしがある。有力な政治家であった父に冷淡に扱われて育ってきたにもかかわらず、常に彼に褒められたいと思い続けてきた。
チャーチルが自分の父親と話したのは、一生のうちに5回あるかないかだった。そしていつも自分が父の期待に応えられていないと感じていた。チャーチルは落ちこぼれとして、もがきながら、父の役に立つことを夢見ていたのである。しかし、父は45歳で亡くなってしまった。それでも父は、チャーチルのその後の人生の枠組みを決めたと言ってよい。
ジャーナリズムで金を稼ぐ点も、特定の政党への忠誠を重視しない姿勢も父と同様だ。
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