ある日、グーグル本社の副社長から、山川氏のもとへランチミーティングの招待状が届いた。設立して10年にも満たない企業が、なぜアフリカに向けて大量の広告費用をかけてまで宣伝しているのか、興味をもったからだ。
その頃、アフリカ各国でトラフィックを稼いでいるサイトのトップ10は、フェイスブック、グーグル、ユーチューブなど、そうそうたる面々だった。その中で唯一、山川氏のビィ・フォアードが、日本企業のなかで上位にランクインしていた。
現在も、アフリカビジネスで成功している日本企業は、ビィ・フォアード以外に存在しない。世界企業であるトヨタでさえ、アフリカでは存在感が薄いのが現状である。
だが、今後の人口増加率は、アジアよりアフリカの方が高い。日本企業はアジアばかりに目を向けているが、今こそアフリカ市場に打って出るチャンスだというのが山川氏の考えだ。
山川氏の社会人生活は、東京日産という自動車販売ディーラーがスタートだった。営業は好きではなかったものの、持ち前の頑張りと知恵で、わずか3年で営業所のトップセールスになった。しかし、趣味のモータースポーツにお金をつぎ込み、大きな借金を抱え込んでしまった山川氏は、借金を返すために転職を決意することにした。
儲かる仕事を探して何度か転職を繰り返していたある日、転機が訪れた。従業員4名の中古自動車の買取業社であるカーワイズに入社したのだ。そこで山川氏は、家族以上の濃密な人間関係の中で、営業マンとしての修業を積んでいった。会社から5分の下宿に住み、先輩社員や会長と毎日のように酒を呑み歩き、24時間仕事べったりの生活が続いた。
カーワイズでも、山川氏は短期間でトップセールスになった。そして入社してわずか1年半後、カーワイズ会長から資金を得て、株式会社ワイズ山川として独立した。創業時のメンバーは、営業担当の2名を雇い全部で4名だった。
そこでも山川氏はハードに仕事をこなしていった。ワイズ山川の営業担当者の名刺には、「24時間365日受付」と刷ってあるのだが、そのくらいスピードを重視し、常にお客さんと連絡しあえる環境をつくっておくことが営業の秘訣だった。
こうした努力が実を結び、ワイズ山川は起業して1年目から黒字。その後も順調に拡大を続け、今に至るまで赤字決算になったことがない。
起業後しばらくして、日本の中古車が海外で人気があることに山川氏は気がついた。そこで、ワイズ山川で中古車の海外輸出にチャレンジしてみたのだが、輸出ビジネスに慣れていなかったこともあり、最初は失敗続きだった。代金が回収できず、ミャンマーでは大きな損害を被ってしまい、ニュージーランドでは、さらに大きな損失を出してしまった。
この失敗を教訓にして、山川氏は2006年に海外輸出専門のビィ・フォアードを立ち上げた。そして、代金前払いの取引以外は扱わないことに決めた。資金効率を良くするためだ。それでも相変わらず輸出ビジネスは暗中模索だったが、やがてスポーツカーを改造した日本のドリフトカーが海外で人気となり、次第に世界各国で売れるようになった。
しかしながら苦難は続く。
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