他人の考えていることが気になる。誰にでも少なからずそんなことはある。他人とかかわりながら生きているかぎりそこから離れることはできないが、他人の考えをいくら考えても、気にしてみても、それが変わることはありえない。考えることは意味がなく、ムダなのである。
仕事でかかわる相手が心ないビジネストークをしてくることもあるだろう。しかし、心に思っていることは語る言葉の調子や表情に必ずあらわれてくる。表情をよく観察し、口調をよく聞くことでだんだんとそれが見えてくる。言葉の裏をあれこれ考えるより、そこを見きわめることが大事だ。
仕事にしんどさを感じやすく、それがストレスになる人は、自分で自分にご褒美を用意するのがいい。たとえば、仕事が一段落したら、自分が楽しめること、好きなこと、心地よいことをする。そうしてご褒美を用意すると、心が大きな仕事を終えた区切りと認識し、気分が落ち着いてくる。
ご褒美でしんどさから解放されたら、次の仕事にも新たな意欲とエネルギーを持って取り組んでいけるはずだ。仕事には当然期限があるが、あえて自分のなかで期限を短縮し、余った日を休みにしてしまうのがおすすめだ。むずかしいことかもしれないが、自分自身が期限の短縮という目標を決めることが、大きなモチベーションとなるだろう。
「この職場では自分の力を発揮できていない」「あいつはラクな仕事をして高い評価を得ている」と考えてしまうことは誰にでも少なからずある。しかし、自分が活躍できる場所は誰かが用意してくれるわけではない。自分がいるその環境を、自分が活躍できるものに変えていくしかないのである。
自分を輝かせるには、自分だけの居場所をつくること、言い換えれば、自分を仕事やプロジェクトにとって必要不可欠な人間にすることだ。禅語には「随所に主と作れば、立処みな真なり」というものがある。どんな場所でも自分が主体になったら、そこは活躍の場となり、自分が輝いてくる、という意味だ。どんな仕事であっても、自分なりの工夫を加えていくことで自分ならではの色合いを出すことができる。
会社の中には「ソリが合わない」という相手も一人や二人はいるだろう。対等な相手であればソリが合わないというこちらの感情は態度にもあらわれているかもしれない。同僚だからこそマイナス感情を払拭するのは容易いことではなく、それがさらに大きなストレスとなる。
しかし、「ソリが合わない」ということの実相は、多くの場合「あいつはそういうヤツなのだ」と決めつけてしまっていることにある。禅では「あらゆるものには仏性がある」と考える。決めつけを外し、おたがいのなかに仏性(やさしさ、思いやりなど)を認め合うということだ。相手の立場を尊重し、ほめ合う習慣、そして感謝の言葉が「妙薬」となる。
現在の会社組織は昔に比べて結果が求められ、数値目標を達成しなければ上からのプレッシャーがかかる。そんな組織内事情の中で、「同僚に手柄を横取りされた」というようなケースも少なくない。横取りの中身はさまざまだと思われるが、ゆき着くところは「人間不信」である。「個人主義」といえば聞こえは悪くないが、それがどんどん人と人とのつながりを希薄にし、うつの増加の背景になっているのはたしかだろう。
同僚に理不尽なおこないをされたときには、本来なら詰め寄ってしかるべきかもしれないが、禅ではどんなに理不尽だと感じても、気分が落ち込んでも「そんなものだ」と受けとめ、そのうえで、心を前向きに転じていくことが大事だ、と考える。理不尽な出来事自体は、抗議しようが怒ろうが変わらないので、「そんなものだ」と受けとめる。そして、相手と一線を画したところに自分の心を置くというのは、潔く、相手よりはるかに器の大きいことである。
誠意のこもっていない上っ面の言葉をかけられることほど、心をザワつかせるものはない。たとえば、部下からのわざとらしいご機嫌伺いは、部下の本音が透けて見え、耳障りになる。ご機嫌を伺ってくるその部下の存在がうっとうしくなり、かかわること自体がストレスになる。
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