そもそも「考える」とは、自分の中にある情報(インプット)をもとに、自分なりの結論(アウトプット)を導き出す作業だ。質の高いアウトプットをするためには、まずはインプットが不可欠である。しかしやみくもにインプットを増やせばいいというものでもない。
ショーペンハウエルは『読書について』という著作で、「読書とは他人にものを考えてもらうことである」と述べている。本を読むということは、あくまで他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない。本を読んで賢くなったつもりになっていても、それは自分でモノを考える力がついたのとは違うというわけだ。
本を読むのは、ザルで水を汲むのに似ているのかもしれない。読んだ後はわかった気になるけれど、すぐに水(知識)はザルの網目からこぼれてしまう。つまり忘れてしまう。大量に読んだり、熟慮を重ねて何回も読んだりすることによって、少しずつ水がたまっていく。読書とはそのようなものなのかもしれない。
はじめてインプットがスムースになったと感じたのは、NHKの「週刊こどもニュース」を担当してからだった。記者時代も記事を書いてアウトプットはしていたが、その時代はとにかく取材していたものを記事にしていただけだった。しかし、「週刊こどもニュース」では、小学校高学年の子供たちにもニュースをわかってもらわなくてはならない。そのための伝え方を考えるうち、さまざまなことを調べてインプットせざるを得なくなった。
アウトプットはインプットの力を引き出す。知識が身についたかなと思ったときは、アウトプットをして確認することが大切である。わかりやすいたとえ話も、アウトプットを意識するからこそ、全体像をきちんと把握して情報の適切な取捨選択を行うからこそできる技術である。
インプットをしようと思っても、テレビ、ラジオ、新聞、ネット、本と多種多様だ。私たちは普段の生活の中で、知らず知らずのうちにフローの情報を追っている。しかし考える力をつける上では、ストックの情報を活用することが重要だ。「フロー」というのは文字通り、流れていくもの。テレビやネットで見るニュースや新聞など、日々新たに伝えられ、すぐに消えていく情報だ。一方、「ストック」とは、本や辞典のように保存されて、いつでも見ようと思えば確認できるものだ。
考える力をつけようとするならば、毎日のフロー情報の中から「わからない」を見つけることだ。それからわからない部分をストック情報に当たる。基礎知識がない場合には、まずはストックの情報をインプットすることが良い。するとフローの情報の見え方にも奥行きが出てくるのである。
新聞の情報量を具体的に示すと、朝刊は文字にして20万字。これは新書2冊分に相当する。新聞を毎日読み続けていれば、知らずしらずのうちに膨大な情報量に接することになるのである。
新聞の魅力は何かを問われたら、著者は「ノイズ」と答えるという。
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