「努力は報われる」という言葉は、半分は本当で、半分は美しい虚構である。脳は酸素要求量も栄養の要求量も大きい臓器であるため、なるべく無駄なことはせず、リソースを節約しようとする。そのため、覚えないで済むこと、考えないで済むことをわざわざ覚えるのは、不可能といってよい。つまり、脳は負荷をかけないと機能しないのである。この負荷こそが努力であり、適切に努力した人は、やった分だけ自分のポテンシャルを引き出せるようになる。
この点から言えば「努力は報われる」は本当である。しかし、たとえば走るのが嫌いな人が、努力をすればウサイン・ボルトのようになれるといったら、どう考えても無理である。その意味では、「努力をすれば報われる」は嘘である。実際のところ、才能は遺伝的に決まっている。かの有名なエジソンは「1%のひらめきと99%の努力」という名言を残しているが、この真意は「99%努力しても1%のひらめきがなければ無駄」ということだそうだ。
努力には「時間をかける」「身体や精神に負担をかける」といったイメージがある。この考えにとらわれていると、努力すること自体が目的になってしまいがちだ。「努力している自分」に喜びを感じていると、冷静に判断する力が弱まり、危険である。
ある研究結果によると、ダイエット中の人が「今日はほとんど食べなくてよかった」と認知していると、倫理的に悪いことをする傾向が高いという。ヒトは我慢の限界を超えると、「自分はこれだけ正しいことをしたんだから許される」という言い訳を、脳内で無意識のうちに行い、羽目を外してしまうというのだ。こうした努力中毒にならないためには、時折一歩引いて、「自分がしている努力は、本当に自分がしたいことなのか」と問い直すことである。
適切な努力の方法とは、(1)目的を設定する、(2)戦略を立てる、(3)実行するという3段階のプロセスを踏むことである。苦労した分だけ成果が出るというのは間違いだ。
「努力すればなんとかなる」。こうした非合理的な努力信仰と呼ぶべき精神が日本にはびこるようになったのは、明治時代以降である。きっかけは薩長出身の武士たちが、江戸っ子たち都会人にバカにされてはならないという焦燥感、欧米列強に追いつかなければならないという圧力だったという。彼らはマイナスの自己評価をしており、理想とのギャップを埋めるために、努力で積み上げていこうとした。
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