「当てるのではなく、当たる」。弓道の教えのひとつであるこの言葉は、的に当てるのではなく、当たるように弓を射ることが重要だと説いている。的を狙うのではなく、的と一体となるのだ。それは、的と自分との距離を意識の中で消滅させることともいえる。
この考え方は、ビジネスにおけるヒットの秘訣でもある。「的」、つまりターゲットである顧客を狙って当てようとするのではなく、当たるという現象を起こす。これを実現するために、顧客の心と会社の行動が一体になるように、一切の距離が無くなるようにするのだ。
たとえば、ゴディバは、高級チョコレートという認知はされていたものの、気軽に立ち寄りづらいと思われていることが課題だった。ただ、憧れの存在であることと、気軽に行ける立地であることは、対立する方向性であるかのように見え、社内でも意見が割れていた。しかし、ゴディバ ジャパン社長に就任した著者が、実際に客として店舗に行ってみたところ、自然に、この高級感のある店がもっと身近な場所にあったらいいのに、と思えたという。アスピレーショナル(憧れ)とアクセシブル(行きやすい)は両立できると確信したのだ。二つを戦略の両輪として、ゴディバ ジャパンは動き出した。具体的には、テレビ広告で「憧れ」を強化し、製品ラインナップを増やしながら、コンビニエンスストアなど「行きやすい」場所を販路として拡充した。
結果、戦略プランは顧客の心を掴み、店舗への動員数も増えた。そして5年間で売り上げ2倍という成果につながった。顧客の心と一体化したからこそ、顧客との距離が消えた。そして、狙わないからこそ、ターゲットを正しく射ることができたのだ。
ビジネスにおいて「当たる」という現象を起こすためには、「純粋な心」で顧客と向き合うことも大切だ。素直に顧客の声に耳を傾け、顧客にとってよいものを作ることに集中する。
このとき、素直に聞くという点が重要である。特に、会社の上層部に身を置く人ほど、豊富な経験が裏目に出てしまい、顧客や部下の意見をくみ取れなくなることがある。すると、部下も意見を述べづらくなり、組織にそれが蔓延し、ひいては顧客との距離が広がってくる。結果、マーケットから取り残されるといった事態に陥ってしまうことになる。
だからこそ、部下、そして顧客の意見には耳を傾ける。とりわけ、顧客の意見は直接聞く努力をするべきだ。「なぜですか?」「どう思いますか?」と、顧客のみならず他業種の人にも問いかける。そうすれば、だんだんと顧客の心がわかってくる。
自分の思い込みや狙いは捨てて、まずは「純粋な心」で顧客に向き合うことが、「当たる」ビジネスを生むのである。
著者が、リヤドロというスペインの磁器会社の日本法人の代表を務めていた頃のことだ。展示会販売に立ち会っていた著者に、男性が話しかけてきた。その場にあった、『希望をのせて』という、オリエント急行の駅を再現した時価360万円ほどの作品について聞きたいというのだ。著者は、その、特別お金持ちであるようにも見えない男性に、作品に込められたストーリーについて詳しく話し、二人は、蒸気機関車の黄金時代にタイムスリップしたかのような時間を過ごした。そして、「売る」ことすら忘れた瞬間に、男性はその作品を買いたいと申し出たのだ。それは、「売る」ではなく「売れた」と感じられた瞬間だった。
弓道では、矢が弓から離れる瞬間を「離れ」と呼ぶ。
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