2011年4月、著者はパリを経由し、アフリカ西海岸にあるモーリタニアという国に向かった。かつてフランス領だったモーリタニアは、アラビア語のほかにフランス語が公用語である。だが、著者はアラビア語もフランス語もほとんど話せない。日本語はおろか英語が話せる人材も少ないこの地で、著者の闘いの日々が始まった。
モーリタニアにはバッタ研究所がある。著者はそこに寝泊まりしながら、バッタ研究に従事した。研究所では、バッタ研究の世界的権威であるババ所長をはじめ、多くの人から歓迎を受けた。
モーリタニアでのフィールドワークは、主に砂漠でおこなわれる。そのため、車で移動しなければならないのだが、モーリタニアは日本と反対の左ハンドル右車線通行で、しかもかなり道が悪い。くわえて、交通ルールが守られなかったり、ロバやヤギが道路を闊歩していることもあったりする。
そこで、著者がババ所長に相談したところ、ティジャニという青年を専属のドライバーとして手配してくれた。ティジャニは運転技術がしっかりしており、外国人慣れしている上、人間性もピカイチだという。
ただし、ティジャニはフランス語しか話せないため、はじめは基本的な会話も成り立たないのではないかと危惧した。しかし著者は、身振り手振りとなけなしのフランス語の単語を並べることで、みごと言葉の壁を乗り越えていった。ティジャニはその後、モーリタニアでの生活において、著者の欠かせないパートナーになる。
研究所に来て早々、北の方でバッタが発生していると聞いた著者は、急遽チームを組んで行ってみることにした。
「ミッション」と呼ばれる野外調査は、一度出発したら数日戻らないことも少なくない。そのため、ドライバーの他にコックや雑用係など、数名でチームを組んで行くのが通例だ。ちなみに、役割ごとに給料は異なっており、著者が負担することになっている。これは、ポスドク(大学院で博士課程を修了したあと、任期制の研究職についている不安定な身分)で収入の少ない著者にとってはかなりの痛手だったが、それでもキャンプに必要な物資と食糧、一週間分のガソリンを積み込み、人生初のフィールドワークに出かけた。
アフリカンタイムにより、出発が大幅に遅れた一行が現地に着いたときには、すでに日が暮れようとしていた。はじめてのフィールドワークは、期せずして夜間調査となってしまった。
しかし、夜間のバッタの生態はほとんど解明されていないため、かえって好都合な面もある。観察を始めると、さっそくある規則に気づいた。バッタの幼虫はトゲが生えた植物にしか潜んでおらず、しかもある程度トゲが大きくないと出現しないのだ。過去1世紀のバッタに関するあらゆる論文を読破してきた著者でさえ、バッタがトゲ好きなんて聞いたことがなかったという。
さすがは現場である。屋内の実験室では決して見られない生態が、次々と浮かび上がってくる――そんな予感が著者にはあった。
バッタには「孤独相」と「群生相」と呼ばれる、2つのバリエーションが存在する。
普段見かける、緑色や茶色のおとなしいバッタは孤独相と呼ばれるもので、自らが生活している背景の色に体色を似せることができる。一方、群生相はほぼすべての個体が黄色と黒のまだら模様で、仲間の数が増えて凶暴化するときに出現するという特徴をもつ。
著者がモーリタニアに来る前に立てていた研究計画では、群生相の幼虫を研究することは想定していなかった。しかし、運良く最初のミッションで群生相のバッタに遭遇したため、番外編として研究することにした。
調べてみると、次々とおもしろいことがわかった。
3,400冊以上の要約が楽しめる