アメリカにいるほぼすべてのビジネスパーソンの目標、それは人々にお金を使わせることである。
たとえば卵や牛乳が売場の奥にあるのは、戦略的な理由がある。みんながよく買うものを奥に配置すると、顧客はお目当ての商品を求めて店内を横断する。そのうちに忘れていた別のニーズが喚起され、予定していなかったものを購入してしまう。レジ横にキャンデーや雑誌、あるいはかつてタバコが置かれていたのも偶然ではない。
こうした行動を説明する際、「みんながあまりにも物質主義的だから」と個人に原因が求められることが多い。しかし本当の問題は個人ではなくシステムにある。需要と供給がバランスを保って変動への傾向をみせなくなる状態のことを「均衡」というが、自由市場には、あらゆる人間の弱みにつけこんだ「釣り」が仕掛けられている。そういう意味でこれは「釣り均衡」と呼ぶべきだろう。なかでも自動車購入や結婚、住宅ローンなどの特別な買い物は、カモを釣る絶好の機会として知られている。
金融市場で見られるカモ釣りは、「評判マイニング」という手法を用いている。自分たちの評判をマイニング(傷つける)することで、相手をカモにするのだ。
1990年代末から2000年代初頭にかけて、アメリカの格付け機関は債券の格付けだけでなく、住宅ローンから派生する金融派生商品の格付けを行なっていた。ここで問題が発生した。金融派生商品は目新しいうえに複雑だったため、正しく格付けされているか、買い手側からだとわかりにくかったのだ。
その結果、市場には実際の価値より高く格付けされた商品が散見されるようになり、不当に格付けが高い粗悪な商品まで出回るようになった。そしてその価値が本当は高く設定されているとわかったとき、金融バブルは崩壊した。
いつから金融市場はこんなことになってしまったのだろうか。
1970年代における投資銀行の役割は、「大企業の銀行」として顧客に金融のアドバイスをすることだった。だから顧客を集めるために評判がとても重要だった。投資銀行にはよい証券をつくる動機があったし、格付け機関も正しく格付けする動機をもっていた。
しかし2000年以降、状況は一変した。投資銀行が受け取る「預金」は、巨額の流動資産を持った大口投資家からのものとなった。毎晩何十億ドルも投資銀行に預け、投資銀行は翌日に払い戻す。この担保付きの取引にはリスクがないことから、多くの預金が集まった。
また投資銀行は、「機関投資家の銀行」として、大量の株式取引を仲介し転売するようになった。潜在的な利益相反が起こりやすい状態に置かれたことで、「顧客利益最優先」の倫理が失われてしまった。
さらに格付け機関が投資銀行から手数料を取るようになると、のちに高い利息が得られるよう、投資銀行にとって都合のよい格付が生み出されるようになった。
こうして生まれたのが、実際の資産価値とは異なる、誤った格付けだ。実際に何が起きているか理解できた人々は、そうした商品を空売りすることで高い利潤を得ることができた。しかし一方で、一夜にして廃業するほどの損失を抱えた投資銀行もある。
2008年に住宅ローン証券の格付けについて、適切な審査と評価基準が義務付けされるまで、この状態は続いていた。
クレジットカードを使っている人は、現金払いのお客より13%も多くのチップを残すという研究結果がある。
3,400冊以上の要約が楽しめる