セガ会長である中山隼雄は、セガ・オブ・アメリカ(SOA)の新たなCEOを探していた。当時CEOであるマイケル・カッツは健闘していたものの、多額の広告費をムダにするなど、適任とは言えなかったからだ。そこで中山が目をつけたのが、おもちゃ業界でキャリアを築いてきたトム・カリンスキーだった。
カリンスキーはおもちゃメーカーのマテル社に勤め、当時売り上げが低迷していたバービー人形を窮地から救った人物である。カリンスキーはゲーム業界についてはまったくの無知だった。しかし中山はカリンスキーの能力に賭けていた。カリンスキーならセガにどんな可能性があり、どんな未来が待っているか理解できるはずだと確信していたのである。
はじめはまったくの畑違いの仕事に躊躇していたカリンスキーも、中山に連れられて日本の研究開発本部に足を踏み入れると、考えを変えはじめた。カリンスキーを待っていたのは、セガの最新のゲーム機「ジェネシス」(日本名「メガドライブ」)だった。その魅力に興奮を覚えたカリンスキーは、SOAのCEOに就任することを決意する。
しかし最初から順風満帆というわけではなかった。カリンスキーは前任のカッツと親しかったこともあり、中山の言葉をすぐに信用できたわけではなかった。また、不安のなかで出席したはじめてのミーティングはひどいもので、もはやミーティングの体をなしていなかった。そのなかでもカリンスキーは新しいことを始めようと奮闘していく。
その頃、ゲーム業界の王者は任天堂だった。もともと花札を販売していた任天堂はその後、ディズニーのキャラクターを採用した「ディズニートランプ」で成功を収め、ゲーム業界へと進出。傲慢ともいえる手法でゲーム業界を牛耳った。
その特徴は3つに分かれている。1つ目は任天堂品質保証シールの導入だ。これにより、あらゆるソフトメーカーは任天堂の承認なしにソフトをつくることができなくなった。
2つ目はサードパーティー・ライセンス制度である。任天堂とライセンス契約を結んだソフトメーカーはソフトの制作を許されたが、その本数は年間5本だけに限られた。さらに製造委託費の前納や、約10%という高額のロイヤリティの支払いが義務づけられた。
3つ目は在庫管理だ。任天堂の流通戦略は厳格に管理され、小売店には発注量のほんの一部しか製品が供給されなかった。品薄感を出すことで購買意欲をかき立てる狙いである。
こうした手法は小売業者やソフトメーカーから反感を買ったが、結果に結びついたことも事実だ。カリンスキーは、任天堂が市場の「支配」を象徴する存在なら、セガは「自由」を象徴する存在になろうと決意した。
任天堂という強大な敵を相手にするにあたり、セガにはマリオに対抗するための強力なキャラクターが必要だった。それは単なるキャラクターではなく、セガという存在を象徴する新しいキャラクターでなければならない。
当初、カリンスキーのもとに日本本社から送られてきたキャラクター案はひどいものだった。鋭い牙を生やし、スパイク付きの首輪をはめてエレキギターを持ったハリネズミでは、とうてい人気者になれそうにない。しかも隣には巨乳のセクシーなガールフレンドまでいる始末だ。
そこでSOAでは、このキャラクターを徹底的に改良した。不要なパーツは取り除き、キャラクターの物語をつくることに専念した。
日本本社は自分たちの案に大幅な変更が加えられたことに激怒したが、最終的には総責任者である中山が日本本社の反対を押し切り、カリンスキーにゴーサインを出す。こうして生まれたのが、セガを代表する「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」だ。
SOAと日本本社の間のこうした摩擦は、その後もことあるごとに生じることとなる。
ある晩、セガが契約を結んでいたプロボクサーが試合で惨敗してしまった。そのボクサーの名前を使ったゲームがじきにリリースされる予定だったにもかかわらずだ。ゲームリリース直前の惨敗に、カリンスキーたちは頭を抱えた。
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