意思決定にかかわるこころのはたらきには、情動的反応や直観的思考、欲求などの自動的な「速いこころ」と、合理的判断や論理的思考、自制心などの意志の力による「遅いこころ」の二つの種類があると考えられている。この二種類のシステムを想定し、人間の意思決定を説明する理論は、「二重過程理論」と呼ばれる。二種類のシステムについて学術的によく使われる呼び名が、「システム1」と「システム2」である。
たとえば、お菓子屋さんのショーケースでケーキを見たとき、食べたい、と瞬間的にパッと思うのは、システム1のはたらきである。そして、食べたいけれどカロリーと出費のことを考えて我慢しようとするのが、思考に基づく理性や自制心などによるシステム2のはたらきである。
システム1は、自動的に働き、論理性よりも直観に依存している。どちらかと言えば非言語的であり、知能や処理能力とはあまり関係ないとされている。システム1の中核にあるのは欲求や情動だが、文字があれば無意識に読む、周りで音がしたら振り返るといったプロセスも、システム1によるものだ。
一方で、システム2は、システム1のはたらきにブレーキをかけようとする意志の力といえる。学習によって獲得された論理性や、特定のルールに基づいて思考が展開されるため、言語に依存する部分が大きい。長期的な利益を勘案することも可能である。
システム2を働かせるには、ある程度集中力を必要とする。このため、システム2では一度に処理できる量には限界があり、同時に複数の仕事を掛け持ちすることができない。また、連続して機能させることも難しい。これらは様々な実験によって裏付けられている。
システム1の存在によって、わたしたちは外界の刺激を素早く評価し、危険な場所からとっさに逃げるなど、緊急時に迅速な行動を起こすことが可能となる。また、膨大な情報量に飲み込まれることなく行動できるのも、システム1が働いているからだ。一方、余裕がある状況下では、システム2の熟慮に基づく意思決定で、より合理的な行動をとれる。システム1は自動的駆動であり、システム2は意識して処理するメカニズムといえる。
このシステム1とシステム2は、対等な関係ではない。普段は、自動的なはたらきであるシステム1が仕事を担っており、特に問題が無いかぎりシステム2は稼働しない。外界の情報に対して、システム1は敏感であり、システム2は鈍感であるともいえる。
これらのシステムについて、本書が明らかにしようとする問いは下記のとおり2つある。どちらも、意思決定のしくみと、それに伴う脳のはたらきを考える上で大事な問いだ。
・システム1のはたらきは、システム2のはたらきでコントロールできるか?
・システム1とシステム2を、脳のはたらきで十分に説明できるか?
前者は、意思決定において、「速いこころ」は「遅いこころ」によって統制されるのかということである。後者の脳の問題については、限定したプロセスであれば、「速いこころ」と「遅いこころ」それぞれの、脳の対応領域をある程度特定できるようになってきているという。両方の問いを手掛かりにしながら、次項以降、さまざまな研究成果を紹介する。
「遅いこころ」が、「速いこころ」をコントロールできるという可能性は、「マシュマロテスト」と呼ばれる心理学の実験によって示されている。米国スタンフォード大学の心理学者であるウォルター・ミシェルが、保育園の子供たちに対して行なった実験である。個室にいる子供の目の前に、マシュマロを1個置く。そして、大好きなマシュマロを今すぐ1個もらうか、それとも20分待ってから2個もらうか、子供たちに選ばせるというものだ。
目の前にあるお菓子という誘惑に抗えるかどうかは、当然個人差がある。が、はっきりとした傾向として、目の前にあるマシュマロを見たり、さわったりする子供はマシュマロを食べてしまいがちなこと、マシュマロから注意をそらそうとする子供は我慢できる場合が多いことが認められた。このシンプルな実験からは、「速いこころ」である欲求と、「遅いこころ」である自制心がどのように日常生活で働いているかを観察することができる。
また、マシュマロテストを受けた子供達を追跡調査すると、
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